カルマ

どうも、“ぷらす”です。
秘密スーパーひとし君プロジェクト進行中です。
ああ、私が最初から存在していなければ
どんなに私の人生楽チンだったか。
という議論はパラドックスめいてるけど、
間違っちゃいないよね。
あー違う違う。そういう意味じゃない。
こんなこと書いたらプロバイダに消されるのか。
“自分の存在しない世界”というのは
一体どんなものなんだろうかと考えたことはないですか。
私だけですか。そうですか。
いえ、自分がいようがいまいがお構いなしに
この世界はずっと続いているんだろうし、
それは過去も未来もそうなんだろうけどね。
客観的に考えればそうだけど、
いざ自分が生まれ出る直前、直後、或いは消える直前、直後、
そこで主観的に見た世界というのは、
どう立ち上がり、そしてどう消えていくんだろうな、と。
生まれるというのは、
胎児でいる状態から、おぎゃあと外へ出る瞬間、かな。
消えるというのは、死に際、で、死んだ後か。
そこに自分(という主観)はいるのか。
道理的に考えれば、そこに自分はいない。
こいつがさっぱり想像つかんのですよね。
いないんだから、想像しようもないんだけど。
そもそも自分という存在が、
なぜまさにこの自分なんだろうか?
物理的には、人間をはじめとする地球上の生物ってのは
結局のところ水とタンパク質の塊なのよね。
そんなものが意識や自我を持って
どうやら自立的に行動してる(ようにみえる)わけです。
実に解せん。
まぁそんなことはもう何百何千年前から
いろんな哲学者や科学者が悩んできたことで、
今「それはこういうことなんだよ」とか私が思いついたら、
それこそノーベル賞どころの騒ぎじゃない。
ま、そりゃいいんです。
いいんかい。
てか、今日明日に答えが出るもんじゃないので
棚に上げておいて。
例えば、仏教の考え方に
“輪廻転生”というやつがあります。
端的にいえば、霊魂というやつは消えることなく続いていて、
そいつがいろんな生き物にリサイクルされる、というもの。
意識や自我というのはその霊魂についていて、
その霊魂が物理的な生体に宿る、というわけですな。
その真偽は置いくとして、
「次、生まれ変わるなら、また人間がいいな」
なんてことをよくいうよね。
いわないか。
いうんだよ。
というより、次も人間であることが前提になってること多々。
次は女が良いとか、男が良いとか。
もっと美人にとかスマートにとか、
カッコよくとかイケメンにとか。
(狩野じゃないよ)
でも、生まれ変わったら
犬になってるかもしれないし猫かもしれない。
ゴキブリやハエかもしれない。
タンポポかもしれないし松ぼっくりかもしれない。
そのへんの石っころかもしれない。
大抵そういわれたら、そんなのいやだ、
と思うんだろうけど、
それは今が人間だからなんだよね。
犬になったら、それはそれで
犬である自分が全てなのであって、
それ以外の存在になることは考えられない。
それとも、犬は犬で人間に生まれ変わりたい、
なんて思ってるだろうか。
いや、犬はそんな哲学的なこと考えないか。
擬人化したらってことで。
逆に、人間よりもっと高等な知性を持った異星人とか、
星や空間や宇宙の意思的なものが存在するとするなら、
彼らから見た人間というのは
おそらく人間から見た犬や猫程度の存在なんじゃないか。
でも、そんな存在がいるとしても、
人間はそういう存在に生まれ変わりたいと思うだろうか。
やっぱり人間じゃないか。
それって、
人間であることで得られる自由度や楽しみといったものが
次の人生にも期待されているからなんだろう。
そして、それ以上のことなんか想像できない。
だから、次アメンボに生まれ変わっても、
それはそれでアメンボの人生を送るだけの話なんでしょう。
チクショウ人間が良かったよ、なんて思わない。
てか思えない。
行いが悪いと神様に人間じゃないものに変えられるよ、
なんていう教え方は、
人間じゃない存在に非常に失敬である。
人間って、傲慢だよね。基本的に。
んーメメント・モリ。
最近、なぜかお茶犬の曲が脳内BGMになってます。
意味?そんなものはない。

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