裁量労働制とかの話

部屋の掃除をするとき無意識に脳内に「ケロッとマーチ」(ケロロ軍曹OP)が流れてしまいますどうもこんにちは。

マズイです。年始に今年はブログちゃんと書きます宣言しておきながら、2月はまだ1度も書いてないことに気づいて、とりあえず何か書こうと、先程からブログ書くためにネタ探しするという本末転倒なことをやっていたんですが、そんな中で こんな動画(KAZUYA Channel) を見ました。

裁量労働制。というか、我が国における労働について普段思ったり感じたりしていることを書いてみましょうか。

今この問題はマスコミでもわりと多く取り上げられています。というのも、現政権が取り組んでいる「働き方改革」にまつわる法案を巡って今国会で交わされている議論の中で、政府としては「裁量労働制」を進めていこうとしていたわけですが、その根拠として提出された厚生労働省のデータに不備があったことがわかり、野党はここぞとばかりに政府、安倍政権を追求しており、それをマスコミも挙って取り上げているという流れですね。

まあ、モリだカケだの議論よりは余程まともな議論なので、これが国会で話し合われることは大いに結構だと思います。とはいえ、野党の追求はいろいろ的外れ、というか、労働問題云々よりも安倍政権の失態を論うことを目的にしている感じがあるのでベクトルがどんどんズレていってるような気がしないでもない…

それは置いといて、労働のお話。

そもそも、我々はなぜ働かなければならないのか。お金を稼ぐためです。ではなぜお金を稼がなければならないのか。生活するためです。ではなぜ生活しなければならないのか。生きていくためです。ではなぜ生きなければならないのか。働くため…?

労働というのは国民の義務として定められています。労働して得た収入から税金を納めるのも国民の義務。だからといって人間はお国のために働いているわけではないでしょう。あくまで自分個人が生きていくため、そして働く以外の何かをするためにお金を稼いでいるわけです。税金の支払先である国は、個人の生活を支援するために存在しているわけで、その逆であってはならないんですよね。民主主義の建前としては。
人が働く理由をあまり追求し過ぎると哲学の領域へ入っていっちゃうので、ほどほどのところで納得する意義を考えるなら、個人が人間的な、或いは文化的な生活をするため、というあたりになるのかなと。
人間的、文化的というのを私なりに書き下すなら、衣食住は満ち足りていることは前提、その上で十分な教育を受けたり、配偶者や子供などの家族をもうけたり、疾病時や老後などは医療介護を受けたり、さらにスポーツや旅行といった個人の趣味もある程度嗜めるならなお良しといったところか。

つまり、基本的には個人が満たされるための労働であるわけです。しかるに現状の日本をみると、その労働によって個人の生活もままならなくなっているケースが多い。それこそ何のために働いているのか状態になってると。

私も、毎朝毎夕思うわけですよ。朝はやく起きて、満員電車に1時間以上揺られて、日中はずっとモニターと睨み合って、それが終わればまた満員電車に詰め込まれて、家に帰り着いた頃にはもうヘトヘト。1日の半分以上が労働で、そんな日が年間の半分以上、下手すると7割、8割を占めているわけです。望んでもないのに何で日々こんなことせにゃならんのか。これで家族でもいれば「子供(や嫁)のためにバリバリ働かにゃ!」というモチベーションもあるというものですが、その点でも私はひとり身なので、さらに働く意味というものが希薄になってる感があるのです。

要するに、生きていくための労働が、労働するために生きている状態になってると。働いて十分な稼ぎがあればまだ良い方で、働けど働けど収入が増えない、むしろ出費の方が多い、フリーターや派遣、或いは自営業となれば収入も安定もしないという、いわゆるワーキングプアな人も少なくない。労働、つまり日々の仕事に追われることで、食事もままならない、健康もやばい、結婚もできない、子供もできない、ろくに趣味も嗜めないじゃあ、生きるための労働によって殺されかねないという、これは何の冗談ですか状態になってきていると。

こういう問題があることはわかっているけど、じゃあそれをどう解決するのかということに中々正解が見いだせずにいる。賃金が低いというなら、どうやったら賃金を上げられるか。労働時間が長いというなら、いかに短時間で同様の仕事ができるか。 この話、端的にいうと、いかに働かずに生産性を上げるか、という話になるんじゃないかと思うんですよね。

仕事といえば、私はすっとIT系の仕事をしているわけですが、ITというのは、今まで人間がやっていた主にホワイトカラーの仕事を機械に移譲していく、そういうシステムをつくることを目的にしています。つまり、これを進めていくことで将来的に人間の仕事が減っていくことが期待される。今まで手作業でやってた仕事が、ITによってボタンを一発ポンで終わるようになったりする。これこそ、働かずに生産性を上げるということの実現じゃないですか。でも、何だかそんなに便利になってるような気がしない。いや、便利になってるのだろうけど、人間の仕事が減って楽になった感がない。これはなぜなのか。

思うに、物理的な仕事量に関係なく、人間はなぜか働かなくてはならないという意識に囚われている、そういう呪いにかかってるんじゃないかという気がするんですよね。仕事がなくなったら、何か新たな仕事をつくる。ある作業が自動化されたら、別の作業を探す。その作業も自動化されたら、さらに別のを… これで生産性は上がっていくのかもしれないけど、人の仕事は一向に減らないことになるのよね。楽になったら楽になったまんま楽してりゃいいなじゃいの。でもそうはしない。どうも働きたいらしい。

では、なぜ働きたいのか。別に本能的に働きたいわけじゃないと思うのだけど、お金を稼ぐためには働く必要があるから、仕方なく働くというのが現実でしょう。人間、仕事がなくなったら飯の食い上げであり、そうならないためには、何とか自分にできる仕事を見つけていかなければならない。そんな意識があるから、昨今AIやロボットによってオラたちの仕事が奪われるだーみたいな話も盛り上がっていたりするのでしょう。本来オートメーションで仕事が減るなら願ったりのはず(そのためのオートメーション) なのに、人間の仕事が減る、或いは無くなるといったら反発の声が上がるというのも… その気持ちもわかるし事情もわかるだけに何だかモニョる現象であるなと。

最初の話に戻って、なぜ政府は裁量労働を目指そうとしたのか。裁量労働制というのは、実際の労働時間に関係なく、一定時間働いたことにする(働いたとみなす)制度です。

従来の労働では、例えば、朝9時に出社し17時30分に退社するとしたら、休憩時間1時間を差し引いて労働時間は6.5時間。これを積み上げて月130時間に達していれば月給満額もらえる。それに満たない場合は減給になり、超えていれば時間外手当てがつく。大体こんな制度の職場が多いだろうと。

これに対して、裁量労働制は、実際に何時間働こうが、常に毎日6.5時間、月130時間働いたとみなされる。つまり、実際の労働時間が130時間を下回っていても上回っていても、130時間分の給料満額で変わらないということになるわけですな。

これが「定額で働かせ放題」ということで様々な方面からボロクソいわれるわけですが、私個人は、この制度は運用次第で良くも悪くも回せるものだと思ってるんですよね。確かに、例えば月200時間労働しようが300時間だろうが常に130時間分しか入らないとなったら、それは勿論悲しい話です。

一方で、裁量労働であれば、必ずしも毎日9時から17時まで働く必要はないわけで、例えば昼過ぎ13時くらいにふらっと出社してきて、おやつの時間16時くらいに帰っても良いわけです。この場合、実際の労働時間は3時間程度だけど、裁量労働制によって6.5時間働いたとみなされる。これは会社の運用次第ですが、出勤日数に関係なく月130時間働いたとみなされるなら、個人の裁量で数日休んでしまうのもアリだったりします。

裁量労働なら、何が何でも時間内ずっと職場に貼り付いてなければならないとか、時間外手当て目的でダラダラと残業するというようなスタイルの仕事も削減できる。労働時間ではなく、労働の内容の方が重要になってくるので、これはある意味で本来的な仕事のあり方ともいえるんですよね。

で、これは昨今のIT化社会において、わりと親和性のある制度じゃないかと思うんですよ。先にも書いたけど、今まで人間の手作業で時間をかけてやってきた仕事が、IT化によってボタン一発ポンで終わるとすると、例えば1時間の仕事が1秒で終わったりするわけです。これで今までやってた仕事時間分の1時間余りますよね。その余った時間、従来なら他の仕事を何か探して時間を潰すみたいなことになると思うのだけど、裁量労働制なら、仕事が終わったらさっさと帰ったら良いわけですよ。帰ってデートするなり嫁や子供と過ごすなり、そんなリア充でなければモンハンで探索クエストでもやったりすればよろしい。

まあ常にそんなに上手くいくわけでもないんでしょうけど、目指すところとしては、便利な世の中になって仕事が減れば、それだけ仕事以外の時間を設けられるようになるのだから、それに則した労働制度をつくっていくべきなんじゃないのってことです。むしろそれをしないと、これからも仕事に殺される人間が続出するでしょうし、これに根ざした様々な社会問題、少子高齢化や医療費の膨張などの問題も一向に解決しないでしょう。

その正解が裁量労働制なのかという議論は当然あって良いと思うし、それがダメというなら、もっとイケてる労働制度を考えてつくっていかにゃなるまいよと。おそらく、今の労働問題の根幹は、戦後からバブル期にかけて日本が急成長してきた働き方が、今ではもう通用しなくなってきている、長いこと仕事すればそれだけ成果が上がるというのは最早幻想であるのにそれを盲信しちゃってる社会にあると思うのよね。いわば、高度経済成長の成功体験が、今の時代には呪縛として残っていると言っても良い状態ではないか。

とにかく、何かそういう鬱屈したものを壊して次のフェーズに進む必要が出てきているのは確かであって、今回せっかく裁量労働制の問題で盛り上がってるなら、そこを起点にして、もっと素晴らしい次世代の労働制度を誰か発明してくんないかなー?という他力本願な感想を残して今回は筆を置くことにます。お前が考えろなんていわれても困りますよ。あえていうなら「いっぺん裁量労働制でやってみたら良いんじゃないの」というのが目下の思いでありまして。それで問題が出るようならまた何か考えれば良いし、いずれにしろ、何も考えない何もしないのは一番の愚策じゃないかなぁと。

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