年始にあたって、ひとつ白状しておこうかなと。それは何かというと、私は“会食恐怖症”です、ということ。以前Twitterでもチラッと書いたことあったけど、意図的にネタ発言として流した感じだったので、実はこれはガチな話として、私は今そういう恐怖症を持っている、ということを申し上げておきたく。
会食恐怖症、または会食恐怖という呼称が正式なものなのかどうかは知らないけど、これもしかして鬱か何か精神疾患なんじゃないかと十数年前に初めて心療内科を受診した際、そこの医師に症状を話したところ「それは会食恐怖ですね」といわれた。
どんな症状か。これは「会食恐怖」或いは「外食恐怖」でググれば、わりと情報が出てくる。つまり、ググって出て来る程度にはこの症状を患ってる人が存在してるということだ。端的にいうと、人目に晒される状況下での食事に大きな不安を感じ、特に複数の人と一緒に食事すること、つまり”会食”することができない。
まず、出された料理を前にしてそれを食べることができない。食べることができないことを人に知られたくない…と考える。残したら料理をつくった店の人にも失礼になる。なるべく残さず食べなければ。
そうして無理に食べようとすると、冷や汗、吐き気。本当に吐いてしまったらみんなに迷惑がかかる…
そういうことを考えれば考えるほど不安が煽られて大きくなり、精神的に負のスパイラルに入っていく。その際、酷いときは腹痛や頭痛なども併発し始める。
気にするな、もっと気楽にやれといわれるかもしれないが、気にすまい、誰も私など気にしていない、と不安を払拭しようとしても、そう考えるだけで同様のスパイラルに陥っていく。気にしなくても良いことくらい、頭では分かっている。しかしこれは、会食という状況に反応して条件反射のように襲ってくる。しかも、一度膨らみ始めた不安は自分の意志で抑制することができない。
恐怖症というと、高所恐怖症、暗所恐怖症などはよく知られているだろうが、基本的に特定の環境において強い恐怖を感じるという点では会食恐怖も同様だ。ただ、それが特殊な場所、或いは特殊なものに対する恐怖であれば、その状況を極力避ければ良い。高所恐怖症なら高いところに登らなければ良いし、暗所恐怖症なら明かりのある場所にいれば良い。一方で、会食恐怖症の厄介なところは「会食」という状況に特殊性がないことである。人間社会で生きていれば人付き合いもあり、プライベートにおいても仕事の中でも会食というシーンは日常的で、それは避けようにも避けられないもの。
ちょっと想像してみて欲しい。職場で同僚と一緒にランチ、客先や協力会社などの接待や懇親会、歓送迎会や忘年会、新年会など節目節目に訪れる飲み会イベント、親類や知人などの冠婚葬祭、プライベートな娯楽や旅行などなど、そうした日常を過ごしているだけで、九分九厘、いや確実に会食の機会は訪れる。その場に行くことが恐怖の対象だったとしたら……。
要は、「人付き合い」≒「会食」なのだ。本来、人と話をしながら食事をするというのは、多くの人にとって楽しいことに分類されるもの。食事ということ自体が人生の楽しみの1つでもあり、さらに気の合う人と会話をするということもまた楽しいことだろう。これが、会食恐怖症の人間にとっては真逆になる。
ただ、食事そのものができないわけではない。さすがに何も食べないと餓死する。会食恐怖症の人がつらいのは、あくまで複数人での食事だ。つまり、ひとりであれば普通に食事できる。だから、職場で同僚に食事に誘われても、それを断って一人で食べてたりする。この事情を知らない健常者(とあえて呼ぼう)から見ると”付き合いが悪い”と映る。
食事というのは、人間同士がコミュニケーションをとる機会であり手段でもある。そのこと自体は私も、おそらく他の会食恐怖症の当事者も理解している。できればみんなと仲良く食事したいと思っている。だが、できない。これが非常につらい。
ただ、他の人に同じことがいえるかどうかはわからないけど、私の場合においては、会食でも大丈夫なケースというのが存在する。
まず1つは、相手が本当に気心が知れた相手である場合。これは、家族や付き合いの長い知人などということになるが、そうした人とであれば食事できる。ただ、付き合いが長かった人でも、しばらくぶりに会うような場合だと会食恐怖の対象になってくる。また、家族での食事であっても、冠婚葬祭などフォーマルな場では駄目になる。そうした意味では、ある程度品位のある店、和食なら懐石料理、洋食ならフランス、イタリア料理などルールじみたものを伴う食事となると、それも駄目だったりする。
2つ目は、食事が個食でない場合。大皿の料理や鍋ものなど、1つの料理を大勢で取るようなケースは大丈夫だったりする。自分用に料理が出されるようなものになると駄目。大皿や鍋であれば、必ずしもそれに手を付ける必要がなく、食べる際も完全に自分のペースで食べることができる。あと、それを他の人も食べてくれるという安心感もある。いわゆる大衆居酒屋での飲み会などがこれに該当する。飲み会の類がこうしたものばかりであれば大変助かるのだけど、ときどき高級なレストランみたいな場所で催される場合もあり、そうなると私は死んでしまう。
あと、これらの条件をクリアしていても、精神的なコンディション次第で恐怖症が発動することもある。要は不安定なのだ。これといったパターンもわからないから対策のしようもない。
いつから私はこんなことになったのか。実は、そのきっかけとなる出来事には(確かではないものの)心当たりがあったりもする。あれは私が20代半ばくらいの頃だったかと思う。ある人と外食する約束をしたのだが、その当日、間の悪いことに私は体調を崩してしまい、朝から腹の調子も最悪ときていた。しかし約束は守らねばと、無理してその人と食事に出たのだけど、それが間違いだった。私は自分の料理が出てきたところで吐き気MAXになり、食事中何度も離席してしまうことに。結局その料理もほとんど手を付けることができず店を出ることになり、その後、何とかその人を駅まで送ったけど、ひとりになった後の帰りしな、何度もコンビニに立ち寄りトイレを借りるハメに。それ以来、人と食事をするというシチュエーションになるだけで、そのトラウマが頭の中に蘇り精神不安定になるように。
人にもよると思うけど、 この会食恐怖症というのは、他の恐怖症などと違ってなかなか人に公言することができない。例えば、高所恐怖症であれば「自分は高所恐怖症なので高いところダメなんだ」と普通に言えると思うし、そう聞いた側も、それについて特に何とも思わないと思う。ところが、会食がダメとなると様々な支障が出る。そもそも、会食が恐怖の対象となること自体があまり理解されないのではないか。食事は楽しいもの、まして会食してこその食事。ぼっち飯なんてマズかろうと。こっちだって好きでぼっち飯なわけではない。無理なのだ。
これをどうにか治せないものかと、いろんな本を読んだり、ネットの情報を漁ったりもしたのだが、どの情報も、それで治るんなら苦労はしないってものばかりだった。例えば、本やネットにはよく「積極的に会食の場に参加して、とにかく慣れろ」などと書いてあったりする。「誰もあなたのことなんか気にしてない」とも「無理して食べず残しても良い」ともいわれてる。知ってるよ。頭ではそれをわかってるのだけど、自律神経が勝手に緊張して「あ、無理っす」ってなるのだ。
そこで、私は別の方法を思いついた。もう、この会食恐怖という状態、というか体質をネタにしようと。それをブログやSNSで書いて笑い草にしようと。これで緊張も解れて症状も改善してくるんじゃないか。アレだ。すんごく体調不良で痛かったり苦しかったりしたものが、いざ医者に診てもらおうという段になると、なぜか症状がウソのように改善して、「どういう風に痛いですか」と問われても「あれ、今は痛くないな…」みたいなことがある。あんな感じで(どんな感じなのか)。私はネタで「やばい」とか「つらい」とかいうことはよくあるけど、ガチでつらいことはあんまり表立っていいたくない性分ではある。あるのだが、これはガチでつらい。
これをお読みになってるあなたの周囲に、特に人間関係は悪くない、会話も普通にできるしコミュ障でもないのに、なぜか食事に誘っても断る人とか、飲み会を軒並み欠席する人とかいないだろうか。もしかすると、その人は会食恐怖症なのかもしれない。