自然とは

NHKで鳥取砂丘の特集のようなものをやっていた。砂丘の様々な風景や現象などを淡々と紹介するような。こういう番組は大好き。何だろう。自然を見るのが好きというのもあるけど、とにかく「作り物じゃない」というのが好きなのかもしれない。
風紋とか砂簾などの現象をボーッとみていると、どうしてこういう現象が起こるのかなぁ、などと考える。どうして?というのは、因果法則もあるけど、なぜ?ということもまたあるわけで。
自然現象に理由なんてあるわけないでしょ。
いや、あるかもしれません。そもそも、私がその理由を問うことに理由があるのかも。ガリレイだったか、人間に知性があることについて、神がそれを知ろうとすることをさせないようにしているとは思えない……といったとかいってないとか(そんなニュアンス)
現象には、理(ことわり)がありますと。何かが作用しているから、それは起こる。原因があって、それは何らかの法則に従って結果に至る。その原因は、また別の原因の結果であったりする。その連鎖で全てがひとつの状態をとる。
結局、ただただそれだけなんでしょうけどね。
つまり、何がどうなろうと、具体的には、世界が永遠に平和であろうが、大戦争が勃発して核ミサイルシャワーが降ってこようが、太陽が突然凍りつこうが、銀河系が反対に回り始めようが、それはそういう原理と法則があったからそうなったのだ、ということ。
人類が認知する真理が、必ずしも本当の真理ではない。
人はとかく物事を良い悪いで区分けしようとしたりするけど、どんな出来事にも本来良い悪いなんて基準はない。単にそれが起こっている、それだけなんですよね。誰かの意思、或いは自分の意思で何かコトが起こっているように思い込んでいるけど、実はそれは錯覚で、何か恣意的にみえることであっても、大局的にみれば自然現象ということになる。
話が飛びましたが、砂丘の現象って(複雑系という意味で)カオスそのものという感じで、丁度そういうことを思い起こしてしまう。
砂丘では、誰も見ていなくても、風が吹けば風紋ができて、流砂も起こって、生態系で植物と小動物の営みもある。誰がそうせずとも、あくまで自然に。或いは、自動的に。
人間社会の営みは、ほぼ人工的に、人為的に動かされていて、それはいわゆる自然の流れに逆らっているようにみえる、自然を捻じ曲げて無理やりそういう形に矯正しているようにみえるのだけど、そういう人間の営みもまた自然の一部なんですよね。
砂丘、一度は行ってみるといいです。何もないから。何もないのが良い。

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