トライ&エラー

 🙂 誕生25周年らしい
 (slashdot.jp
私よりも年下だったのね。
こんな業界に10年近くもいると、
どうもシステムってものが信用できなくなってくる。
機械も結局人間がつくったものなんだってことですが。
よし、カンペキ!
というシステムを1度として作り上げたことがない。
でもそれは当たり前なんですよね。
人間がカンペキでない以上、
その手でつくられるモノがカンペキであるはずがない。
で、考えてみた。
カンペキとは何か?
完璧。完全な壁?
いやいや。
つまるところ、なんら欠陥や不備のないもの、
完全、最終形態、それ以上のものはないといえるもの、
考えうる最善最良ベストパフォーマンスなもの、
ウルトラスーパーデラックスなもの。。。
まぁ最後のは置いといて、システムに限らず
それって現実的にあり得ないですよね。
それこそ神の領域というやつになると思うんだけど、
まさに理想、想像の世界、抽象の世界なんだろうなと。
正円は現実にあり得ない。
あの話と同じで。
ということで、システムも人間も
必ずどこかにバグを抱えて存在しているわけだけど、
そのバグというのは想定されないバグではなく、
最初から現象として織り込み済みのもの。なんでしょう。
仮にラプラスの悪魔なんてのがいるとするなら
彼はそれ(バグ)の存在をハナっから知っている、
(バグすら設計書に記載済み)
そういうものなんだろうと。
と考えると、完璧であるかそうでないか、
そんな議論は、
それこそ犬にでも食わせてしまえば良いということになる。
現実、この現象世界に存在する以上は、
常に誤りを犯しつつ、常にそれを修正しているということになる。
そこでさらに疑問。
誤り、というのは、何に対して誤りなんだろうか。
誤りというからには、基準となる正しいものがあるはず。
その“正しいもの”というのは何ぞ?
機械の場合は、設計書に書かれている動作が基準となって、
それ以外の行動をする場合は誤りとして訂正される。
ほんじゃ、人間にも設計書があるのか。
例えばDNAにそんなことが書かれているのか。
人間に限らず、生物全般にいえることだけど、
それらは常に生きるものとして正しい筋書きを持っていて、
そこから外れようとしたときに軌道修正しながら生きているわけです。
ということは、その生物の本能として、
というか、生物というシステムとしての設計書を内在していて、
生物は意識しないところでそれを遵守しているんだ、
ということになるわけですな。
もっというなら、それって生物に限らないよね?
森羅万象遍くその動向を眺望してみても、
そこに自己組織化されたと考えられるすべての事象は、
あるエラー訂正機能を内在したシステムとして動いてる。
それを、実は、私たちはいつも直感してるのよね。
だから人間は後悔できる。
解からなければ、悔やむことすらできないはず。
ただ、知っていつつ忘れるのも人間。
ある意味、そうなる確率が高いことを知っているくせに、
あえてその失敗の道を選択することもあるんだよね。
学習しないというか、自爆したがりなのか。。
そう、安易な道=失敗の道、であるケースが多く、
成功するにはある苦難を乗り越える必要があり、
それより、少しでも成功の確率があるなら、
(失敗の確率が高いと知りつつも)安易な方を選択する、
ってことなんですよ。
てことで、
やっぱしUnitテストもっといっぱい書かんといかんよなぁ。。
実装よりテスト書く方に時間かかるってどうなのよ。
EasyMockよくわからんし。

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