妥協哲学

何が失敗だったかって、
そもそも生まれてきたことが失敗だった。
何事もないのが幸せなのであれば、
この世がなければ皆幸せではなかったか。
生物がこの世に生まれてきて何をするかといえば、
基本的に次の世代を残すことに生涯を費やす。
それ以外のことは、生物にとってほとんど無駄なこと。
では、そうして世代をつないでいくことには、
果たして何か意味があるのか。
人間は、多くの生物種と異なって、
生物の本来の営み以外の無駄なことができる。
それにも何か意味があるのか。
そうしてどんどんつきつめていくと
そのうち何もかもやる気が失せてくるんだけど、
それでも不思議と完全に脱力することはなく、
やっぱりその無駄なことを相変わらず続けるのである。
そこから脱してしまったら、
それこそ世俗から離れて仏門にでも入るしかないわね。
今年は、アメリカのシカゴあたりで
素数ゼミというのが大発生して話題になったんですが、
彼らは17年に一度、地中から出てきて羽化し、
大繁殖をした後、その生涯を終えるといいます。
そして産み落とされた子供たちがまた羽化するのは、
そのさらに17年後なのですな。
それがなぜ17年なのか。
有性生殖では同じ種同士でしか繁殖はできないので、
地中から出てきたときに同じ種の相手がいなかったら、
そのセミはそのまま独身で生涯を終えるしかない。
ところで、素数というのは、
自分自身以外の数では割り切れない数のことで、
それは、1、2、3、5、7、11、13、17…という数のこと。
特に13とか17という数の倍数は、
他の数の倍数と被ることが少なく、
つまり、違う種のセミの発生周期と重なりにくい、
ということになるのですな。
で、13年とか17年周期でセミが大発生するんだけど、
これはそのセミがその数を狙っていたわけではなく、
結果的にその周期で発生する種が生き残りやすかった、
ということ。
実際、自然界というのは
こういう勝ったもん勝ちな構図があります。
つまり、その状況下で一番残りやすかったものが、
結局最後まで残っていくという流れ。
当たり前といえば当たり前の話だけどね。
要は、意図して何かの動向を決めようとしても、
それは様々にある原因のひとつにしか過ぎず、
その原因よりも結果に影響しやすい要因が絡めば、
結果は意図と違ったものになる。
15年周期で発生するセミがどんなに頑張っても、
17年周期で発生するセミには敵わないと。
人間はもっと自然の前に謙虚であるべきだ、
などと利口げなことをいっても、
それ以前に人間は自然の一員なのであって、
謙虚も何も、実は自然に運命を任されている、
というのが本質だったりするんだよね。
ふむ。ならば、
我々が何かをしようとすることは全て無意味なのか。
無意味ではないと思う。
意味というのは結局その人の中の価値観そのものだから、
自分で意味があると思ったことは意味がある。
全ては運命の前に無駄な努力だと思うのではなく、
むしろ、積極的にそれを受け入れれば良いと。
結果論としては事実が全てなので、
それを悲観するより楽観した方がお得。
どうせ明日も出勤することは変わりないんだから、
そこで鬱になるのでなく、それは受け入れて
今を前向きに過ごせば良いのである。
ということで、
とりあえずみんゴル5でもして今を楽しもう。
(これも運命。ああ逆らえない逆らえない。)

コメント

  1. 富久亭日乗 より:

    本「素数ゼミの謎」

    文藝春秋、吉村仁・著、石森愛彦・絵  生物学と数学が同時に分かる入門書。 願わくば、おっさんになってからではなく、 中高生のころにこのような本に出会いたかった。  アメリカに13年、または17年ごとに 大量に発生し、数週間だけ大合唱して 死んでいくセミがいる。  なにゆえ13年、17年なのか。 ヒントはタイトルにある。  生物が環境に適応し、 適者のみが生存していく過程を 順を追って解き明かしていく。  まるで極上のミステリーを 読んでいるかのようだ。  著書は静岡大の教授で、 専門の「数理…

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