「○○さんの息子さん、東京大学へ合格なさったんですって?頭いいんですね。」
「△△くんは神戸大学卒業らしいよ。頭いいんだな。」
もう大学の程度で頭が良い悪いという時代でもないと思うけど、それでもそれはひとつのステータスとして評価されます。で、この言葉を聞く度に思うこと。
この“頭がいい”って何だろうねと。才能か。努力の結果か。
普通の人が東大とかに合格するには、相応に勉強せにゃならんわけです。そういう努力を最後までできた人が、試験にパスする。これは「頭がいい」とかいう話とはまた違う気がすると。
そういう私は、今のところ、ほぼ努力を知らない人生を送っていますが。