道に蝉が落ちていた。
アスファルトの道路の上に転がっている蝉の死骸というのは、なんとも居た堪れない。本来、土の上に落ちて自然に帰るべきなんだろうと。これがアスファルトの道路では、きっと踏まれたり轢かれたりして粉々になって道路のシミになるか、そうでなければ、乾いて風に飛ばされて粉塵になるか。まあこれはこれで自然に帰るということかもしれない。
実家にいる頃は、蝉はミンミンジワジワうるさいとしか感じていなかったが、今それを聞くと、彼らの健気な生命活動に敬服の念さえ感じる。こんなコンクリートだらけの街中で、田舎と変わらず、よくぞ鳴いてくれているものだと。
蝉は精一杯生きることだけに生きているのだろう。
それに比べて、人間というのは、無駄なことをたくさんできる。生きることに直接関係のないこともできる。実際、そっちの方が人生の大半を占めているのではないか。だから人間は、ただ生きているだけではダメなのであって。本当は、無駄なんてものはないのかもしれない。無駄だと思っている“あそび”の部分も、実は必要なものなのではないか。
ならば、私が今ゲームばっかりしてるのも、必要なことなのか。(ご都合主義)
仕事が今週中に何とかなれば、夏休みのお許しが出そうな方向に。何とかなるのか。