行動するということ

私はよく、このままではいけない、何かをしなければいけないんだろうなーと、漠然とした不安に陥るんですが、何をしなければならないということは、基本的にないのですよね。とにかく、今の状態に納得できてないのだろうと。
人が何かをする、ということは、主に次の5通りがあると思う。
 ~ をしたい。
 ~ をすべきである。
 ~ をしなければならない。
 ~ をすることができる。
 ~ をさせられている。
思いつく限り。
おそらく、「したい」と「すべき」、或いは「したい」と「しなければならない」が一致したとき、その「~」という目標に向かって行動しようという動機が確からしくなってくるんだと思うんだけど、それは、その次の「することができる」が必要条件となる。いってみれば「することができる」となることが壁になって、「したい」や「すべき」の行動が阻まれると。
ところで、「することができる」行為は、これはいっぱいあります。そのどれをするかは、その個人の欲求や外的作用などによって選択されていく。つまり、私たちは「することができる」行為ありきで、その中から選択的に行動をしているというのが概ねでしょうと。というより、それは必然。
ここで、「したい」行為と「することができる」行為という組み合わせも、これまたたくさんあると思われる。ただ、その中には、実際にやれないことも多くあります。モラル的な意味でも、限りなく不可能に近い可能という意味でも。「してはならない」という禁止事項が入る場合と、それを実現するには多大な努力が必要という場合もあると。
ここまでで、おそらくやって納得できることというのは、「したい」ことで、それは「すべき」ことで、それが努力をすれば実現可能な「することができる」こと。この条件の下で、人は結構充実感を持てるのではないか。
ただ、殆どの人は気づいてないし、気にしてもいないと思うんですが、実は、人々の大多数は、一番最後の「させられている」ことばかりやっている気がする。
私も例外ではなく。
だから、日々の自分に納得できないのかもしれない。

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