明けましておめでとうございます!
って、ホントはね、この記事2025年のうちに書こうと思ってたんですが、そう思い立って書き始めたのが12月31日の23時だったという時点で、年を越すだろうなとは思ってた。
しかし、ついこの間2025年が始まったと思ってたのに、気づけばもう終わりっていう、これが一番衝撃的な事実だったのだけど……いや、30歳超えたあたりから年々時間が加速してった感はあったんですがね、それが最初はジェットコースター程度だったのが、今やもうジェット機通り越してロケットくらいの速さで過ぎていく。いやまあ、ジェットコースターの時点でやばかったわけだけども。
とりあえず、年1回くらいは何か書いておこうかなと思って、ホントひっさびさにブログなんて書いてみてます。といっても、状況はここ数年何も変わってないんだけども。まあ、飲み会で駄弁るノリでタラタラ書いてみますよと。
ウォーターフォールからアジャイルへ
まずは近況から。相変わらずIT業界なんて水物な世界で仕事してるわけだけど、その開発手法が近年、特にこの1、2年で劇的に変わりました。
何が変わったか。
まず、ウォーターフォール開発がいよいよ時代に合わなくなってきていて、現場も慌ててアジャイル開発なんていうモダン?なものに手を出し始めてるんだけど、これが全然上手くいってないのよね。そもそもアジャイルって、端的にいえばトライ&エラーの繰り返しで成果物を洗練させていくというやり方なんだけど、そのトライ&エラーを本番環境でやるとかいう頭おかしいことになってる。
どういうことかというと、機能全体を全部完成させてドカンとリリースするのでなく、機能ができたところから小出しな感じでリリースしてる。それを3ヶ月とかそれ以下の期間でやってるんだけど、とても3ヶ月やそこらでできるような規模の機能じゃないものを無理やりその区切りでリリースするのよね。だからバグが取りきれてないし、機能自体も未完成な状態で、すごく不安定な状態で本番稼働させるという、これまでの常識から考えられないことをやってるの。
で、その未完成だったりバグってたりする部分をどうするかっていうと、手運用。そう、人間の手作業で何とかしてる。手運用してるものは、本来本番で動いてるべき業務なので、最優先作業になるのだけど、当然並行して、その機能の開発も進めないといけないし、バグってたらなおさないとだし、さらに次の機能のリリースも待ってくれないから、それも同時進行しないといけない。終わってるでしょこれ。
大体、小出しで機能を継ぎ足し継ぎ足ししてけるようなボリュームじゃないんですよね。従来ウォーターフォールで2、3年くらいかけて完成させるくらいのシステム規模。それをSAFeとかいう横文字を謳ってそれっぽく開発してるようにみせかけてる。その実、やってることはウォーターフォールと変わらないの。3ヶ月という短い期間で、要件定義やって基本設計やって詳細設計やりながら製造、単体テストとやって、サブシステム同士の結合テストまでやりきる。よく揶揄される“期間の短いウォーターフォール”ってやつなのよね。アジャイルってそういうことじゃないでしょう。
日本のIT企業、というかSIerって、結局のところ古典的なウォーターフォールから抜け出せないでいるんだろうなと思うんですよね。欧米にならって開発モダナイズなんて頑張ってるんだけど、多分この手法が使えるのは、ミスがある程度許されるケースなんだと思う。つまり、未完成品を出しても許されるというか、バグってたらなおせば良い精神が通じる文化でないと、アジャイルは真価を発揮できないのではと。だって、出したものの駄目なところを修正するというのを繰り返すのがアジャイルのはずなんだから。それを、ミスが許されない、最初からビシッと完成品を求めてくるSIerには合わないんじゃないのって話。それが今の私の感想。
人間コーディグからAIコーディグへ
もうひとつ、開発現場で大きく変わったのは、何といってもAIの導入ですよ。生成AIはこの1、2年で急成長して、ChatGPTみたいなLLMにはじまり、画像生成、動画生成から音楽生成まで、もう何でもかんでもAIでつくれるようになってるわけだけど、そのプログラムを書くという作業自体もAIがほぼやってくれちゃうという時代になりつつある。
そうはいっても、頭のカタい日本の開発現場ではその導入が遅れるんじゃないか、しばらくは従来通り人間の手でプログラム書くことになるんじゃないかなーなんて踏んでたんだけど、これは完全に甘かった。もうふつうに会社ぐるみでAIの導入をしてきてる。少なくとも今の現場は、ほぼ全員のIDE(VSCode)にCopilotが導入されてて、Claude Sonnet 4とかGemini 3 Proとかでコード生成しちゃってる。
私はこの10年くらいはずっとJavaを書いていて、ここはおじさんの意地みたいなものでJavaを書くのはなるべく頑張って自分で書いてるのだけど、他の言語を書くとなると、もうAI頼みだったりする。最近はPythonとかGoとか書く機会も増えてきてるんだけど、それは正直ほぼ全部Copilot先生の作品になっております。とはいえ、AI使うには、ある程度やりたいことと、言語の知識もないと、ホントにその生成結果で大丈夫かというチェックはできなんですが、真っ白な状態からスタートするよりは、AI先生に書いてもらってそれをチェックする方が断然はやいわけ。そんなこんなやってると、私の持ちスキルであるJavaもAI任せになる日も近い気がしてる。
ただ、AIコーディング、いわゆるバイブコーディグってやつも、実用レベルで考えると、言語知識ゼロではまだ厳しいだろうという感覚はある。上でも書いた通り、生成結果のチェックはやっぱり人間がやるので、それを見ることができるスキルはいる。あと、AIにどういう指示を与えたら良いか、つまりイケてるプロンプトを書く勘所というのも、もともとプログラミングのスキルがある人の方が持ってるんじゃなかと。
まあこれは私の希望的観測ではありますが、あと10年くらいは、現行のプログラマの仕事はまだなくならないんじゃないか、もうしばらくはAIオペレーター的な仕事をする人として食っていけるんじゃないかなと思ってますが。甘い?甘いっすかね?
時事とか
あと、世間をみたときの今年のトピックといえば、米国がトランプ大統領になり、我が国日本の首相が高市総理になったことですかね。政治もメディアもずっとリベラルな時代が続いていたのが、いよいよその逆向きに振れ始めた。それが2025年という年だった気がする。これはある種、時代の転機というか、パラダイムシフトとまではいわんけど、ちょっと世の中の空気が変わったと感じますね。
近年はリベラル、といって良いのかわからんけど、いわゆるポリコレとかDEIと呼ばれるやつ、多様性とか公平性とか包括性とかを重視するあまり、そこを追求することこそが正義みたいな空気が形成されつつあったように感じてたのよね。そのためなら暴力や犯罪も厭わない、法を犯しても構わないみたいなことになってきてる気がして、殊に日本に至っては、その伝統的な文化や考え方までもDEIの名の下に否定される、ぶっちゃけ破壊されてるような理不尽も感じてた。
ナショナリズムが良いとはいわんけど、例えば、日本のことをよく知らないどころか理解しようともしない外国人が入ってきて、日本の文化を壊してまわるというのは、ふつうに考えて理不尽ですよ。そう、ふつうに考えて。最近、この“ふつう”に考えられない人が多くないですか。
米国では、美しくないものを美しいといわなければならなかったり、どう見ても男なのに“彼”(he, him)といえなかったり、人間は男と女の2種類しかいないはずなのにBLMとかLGBTQとかよくわからん運動やら区分やらができてみたりね。米国がそうなら、もう世界はそういう時代になりつつあるのか……と半分諦めかけてもいたんだけど、やっぱりおかしいもんはおかしいって思う人は少なくなかったというのは救いですよ。トランプ氏が大統領に再選されたという出来事は、私はそういう風に理解しましたね。
そして、日本も中国にすり寄るようなムーブをみせるゲル政権から、やっと日本のことを考えてくれる高市政権になったのは僥倖だったかなと。ゲルも高市氏も同じ自民党だし、そんなにかわらんのじゃないかねという見方もあるけど……それはそうかもしれないけど、それでもゲルが保身しか考えてない政治屋だったのに対して、高市氏は政策オタクで政治が楽しいと思ってそうな政治家みたいなので、とりあえずそこに一縷の望みを持っていたりします。頑張って日本を良くして欲しい。
ということで、2026年はどうなるかわからないけど、とりあえず健康第一、安全第一でいけたらなと、そんな感じです。
