[近況/日記] 日常への抵抗

金曜、初めて職場から家まで、電車を使わず歩いて帰った。

なぜそうしようと思ったのか。会社を出て駅へ向かう途中、同じ職場の人が前を歩いているのに気づいて、何となくそれを避けようとして横道に逸れたのがきっかけだった。別にその人が嫌いというわけではないのだけど、別によく知っているわけでもなく、一緒になったからと言って別に話すこともないし、話しかけたところでお互い気まずくなるだけでは、と思ったから。わかるでしょ?

そのせいで、私はいつもの駅への道ではなく、見知らぬ道へ迷いこんでいくことに。いや、道を全く知らないことはない。家から職場までの道は車で何度か走ったことがあるので、大体こっちじゃないかなということは分かっていた。

そのぼやっとした記憶を頼りに、歩いて帰ってみることにする。電車で通勤しているものを徒歩でいってみるというのも、たまにはいいんじゃないか。ちょうど、いつも満員電車で通勤することに何か抵抗してみたいと思っていたところでもあったので、まあ気分転換。

電車なら乗り換え1回で駅5つ分の距離。実はそのルートはやや遠回りをしているので、車や徒歩ならショートカットできる。しかし、距離よりも、普段通らない道を自分が今歩いているという、その非日常的な状態について考えることの方が私には大事に思えた。

とぼとぼ歩きながら、妙な思考が頭を巡り始める。

職場の人を避けたいというきっかけがあったとはいえ、なぜ今の私はこんな行動をとっているのか。完全な成り行きで、私自身全く予定してなかったのだが、自分のこの不意な行動すら、実は何かの法則によって記述可能だったりするのだろうか。今日の私が電車に乗らずに徒歩で帰路につくという行動をとったことは、おそらく私しか知らない。そして、なぜこの行動をとるに至ったかという動機については、当の私自身にすら分からない。

実は神に動かされているのか。或いは、私すら予期していなかったこの行動を、神は知っていたのか。神というと宗教じみてくるののだけど。そう、スピノザの神。つまり、物理法則は知っているのか。世の中は完全に決定論的なのか。もしそうなら、普段から自分は自分の意志で行動しているようで、実は自分以外の何かの力によって動かされているのかもしれない。

家まで徒歩で所要時間は二時間。電車を使えば30分足らず。電車は、その時間を短縮するという役割を果たすのだが、それによって多くの人間が電車を利用するという必然性が生まれる。そうする方が合理的なのだが、そうであるがゆえに、多くの人にその行動を選択させている。これはある種の暴力でもあるなと思った。

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