今日は良い天気だが、風が強い。
昼下がり、車の窓から道路の中央分離帯の花壇(ぽい所)を見ると、オオバコが生えていた。何か懐かしい。オオバコというのは、茎の太いスタンドマイクのような格好をした雑草で、私が子供の頃は、それを”綱取り草”と呼んでいた。
なぜ”綱取り”なのかといえば、その茎を折り曲げてU字型にして、それを交叉させて互いに引っ張り合って、切れた方が負け、という遊びをしていたから。この遊びが”綱取り”。より強そうなその草を探しては、相手に挑戦していた。オオバコにしてみれば、結構残酷な遊びであったな、と今は思う。まぁ、いずれ刈られる運命の草だったのだが。
小学校の登校時、よく道端や田植え前の田んぼに生えている雑草を観察していた。クローバーなんかは特によく注意して見ていた。日本名はシロツメクサ。あの三つ葉の雑草のことである。で、たまにその葉が三枚でなく四枚のことがあり、それを見つけた人には幸運が訪れる、などといわれている例のアレだ。シロツメクサは成長すると白いぼんぼりのような花をつけるのだけど、そうなると、とたんに私の興味はなくなる。葉だけのときの方が興味を惹く草というのも稀有かもしれない。
雑草は、植えられている草花よりも、ときに興味深い。
通学路では必ずそれを目にすることもあり、季節の変化を、まず私たちに感じさせてくれる対象でもあった。春には、タンポポやオオバコ、あとレンゲソウなども咲く。田んぼ一面に咲いた桃色のレンゲというのは絶景で、三途の川手前の野原を思わせる。夏になると、蒼いツユクサが咲き始める。この草が咲くと、ああ、もう直ぐ夏休みだ!と喜んだものだ。
その夏休みが終わり、憂鬱な面持ちで登校する頃、コスモスが咲き出す。コスモスは雑草ではないのだが、実家の近所では、秋になると、なぜか雑草のように勝手にその辺に咲き乱れる。あとマンジュシャゲ(曼珠沙華)も秋の花である。これは、俗に”彼岸花”ともいう、朱い独特の形の花をつける草。綺麗だからとこの草を摘むと、摘んだ茎から白い液体が出てきて、肌が弱い人はそれでかぶれたりしていた。実際、その球根は有毒であるらしい。
そして、それらの雑草が姿を消し始めると、冬の到来である。最近、そんな雑草もみない。本当は道端に生えているのかもしれないが、気にしないのだろう。子供の頃はあんなに敏感に自然を感じてたのに、その感覚も今は鈍い。季節など、肌や自然で感じることなく、カレンダーの数字を見てその季節だと”思い込む”。一体いつからこうなったのだろう。大人になるというのは、そういう感覚も失っていくことなのかも。大人になると、視点が地面から遠くなるから、地面で起こっている出来事が見えなくなるのだと、子供の頃の私はそう思っていたような気がする。しかし、遠くなったのは地面だけではないようだ。