オトナの話

ピカチュリンはねーよ。
最近、学校の先生が危ういですね。
教育現場があんなに汚職だらけでは、
子供の人間不信は増長するばかり。
私が子供だった頃は、親や先生という大人って
必ず正しいはずの絶対的存在だったんですけどね。
実際そうであるかどうかに関わらず。
そもそも、大人って、何ですかね。
私はいつから大人になったんだ。
いや、まだ子供なのか。
子供と大人の線はどこで引かれるのか。
法的には20歳で成人とされるけど、
そんなのも人が勝手に決めたことで、
生物的には早ければ10代前半で成熟している。
ただ、それが人間として成熟している年齢であるとは限らない。
まぁ、子供が出来れば、
その子供からみたら親は大人ということにならざるを得ないんだけど、
それも相対的な話であって、
親イコール大人といって良いかどうかは疑わしい。
従来は大人が上から目線で子供をしつけてたんだけど、
実はそんな大人も絶対正しいわけではなく、
生身の人間としては子供と同じ弱く不安定な存在なんだ、
ということを前提しなければならない、
そんな時代になっていきているのかもしれません。
昔は大人の事情、というか真実なんかは
子供の目から覆い隠されていてんだけど、
最近は情報インフラの高度化のおかげで
大人の汚い事情も子供に駄々漏れ状態です。
なんだ、大人だって悪いことしてんじゃん。
それなら自分もやって良いよね、
となる子供が現れてくるフローは容易に想定できる。
こうなってしまったら、もう開き直るしかない。
つまり、大人も子供も一緒なんだと、
最初から対等な立場で接していかにゃならんのでしょうと。
年齢が大きければより経験を積んでるわけだけど、
逆にいえば、子供と大人の違いはそれだけです。
経験を多く積んでいればエライって話にはならない。
経験のない、或いは少ない子供には子供の
新鮮な視点や思想があるわけで、
そういうことが大人に影響することもあるだろうと思う。
とにかくですね、
大人が片意地張って子供を指導する時代は終わったんじゃないのか、
なんてことを最近もーんと感じてるのです。
風紀に厳しいあの先生だってオナラするわけよ。
(いや、オナラは関係ないけど。)
完全無欠の人間なぞ存在しない、
ということは、もうとうの昔にバレてるのです。
今さら自分のいうことは正しい、従えなどといったところで、
それを素直にきく子供なんて最近いますか。
だって、ピカチュリンですよ。
どうなのよこれ。
それがnatureに発表されるって面白過ぎるだろ。
まぁ、とにかくそんな時代になったってことです。

コメント

  1. たいら より:

    「正しい」云々を言っても、
    「核」の力を使う事が「正しい」のか、とか、
    前の記事の「マイクロ波で脳に直接…」とかを、
    人という種族、というより生物種として考えたら
    「正しい」なんて思えないことなんて多々ありますよね。
    子供がそこまで突っ込んで来る訳ではありませんが、
    結局は「自分の意見」を明確に表現できる種類の人の
    エゴに過ぎないと思うのですが、間違ってますかねぇ…(´・ω・`)
    ・・・まぁ、なんですか・・・「ピカチュリンはねーよ。」

  2. 月影 より:

    自分の意見を主張できることは悪いことじゃないんですが、それはあくまでその人(自分)の個人の意見なんだ、ということを認識できているかどうかですね。誰からみても正しいことなんてない。
    オトナといえば「オトナ語の謎。」を思い出してしまった。

  3. たいら より:

    「正しい」って言葉の存在が「正しくない」とか…
    「オトナ語の謎。」懐かしいですねww
    またページ残ってるんですねぇ…オトナ語の謎。

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