川の向こうへ渡りたがっているサソリがいた。
サソリはカエルに背中に乗せて向こうまで渡してくれと頼んだ。
カエルは一度はうなずいたが、
やはり思い直して「やっぱり君は僕を刺すだろうから断るよ」といった。
サソリはいう。
「僕は泳げないんだよ。
そんなことをしたら僕も溺れ死んでしまうじゃないか」
カエルはなるほどと思い、サソリを背中に乗せて川を泳ぎ始めた。
しかし、川の真ん中あたりまできたところで、
サソリはカエルの背中を刺してしまった。
カエルは苦しそうに「なんで僕を刺したりしたんだ」と叫んだ。
そこでサソリはこう答えた。
「僕はサソリなんだ。サソリは君を刺すものなんだ。仕方ない。」
サソリとカエルはそのまま川底へ沈んでしまった。
。。。
これは、以前職場の人に教えてもらった話なんだけど、
あまりに無茶な文脈だったので、気になって、
ちょっと調べてみたら、どうやらベトナムの民話らしい。
でも、よく考えたら、これは無茶でもなんでもなく、
全く素直なそのまんまの話なんだね。
みんな実はサソリなんだけど、
普段はその本性を押し隠して生きているんじゃないか。
ただ、サソリの本性が“悪”だというわけではない。
それがサソリという生き物のありのままなのだから、
誰も何も責められるものではないし、
誰も何も褒められるものでもない。
変にサソリではないフリをしているサソリよりも、
サソリとしてそのまま振舞うサソリの方が、
自然体だし清清しい。
ただ、上記の寓話には、
理性的に考えるとやはり合点がいかない。
サソリは生物である以上、
幾多の状況下で自らの生存を最優先するはずであり、
また、相手を刺すには動機があるはずで、
それは多くの場合、餌を得るという目的にある。
話中では、そのいずれも無視して、
サソリはカエルを刺し殺してしまっている。
そこに違和感を覚えるのが、
理性のある人間らしさ、なのかもしれない。
ただ、人間は理性ばかりではなく、
サソリの本性に相当するものもしっかり持っている、
のだろうね。