どこ?なに?

日本語に限らないのだろうけど、
質問に対する答えが、おそらく的確な答えになっていないのに、
質問者はそれを理解し納得してしまう、ということが結構ある。
例えば、
「どこ行ってたの?」
という問いに対して、
「買い物」
とか
「たばこ」
とか
「う○こ」
などという返答はよくあると思う。
でも、これらいずれの回答も「どこへ行っていたか」という
質問者の回答としては的をはずしているのである。
質問は「どこ」という場所を問うている。
つまり、「コンビニ」とか「喫煙所」とか「トイレ」など
場所を回答するのが妥当である。
「買い物」は、おそらく「買い物をする」ということだが、
この中に場所は全く入っていない。
「たばこ」も、「たばこを吸う」ということだろうけど、
こちらも場所を示す言葉はない。
「うん○」に至っては………
場所は全く回答されていないのに、ほとんどの質問者は
これで8割方満足してしまうのではないだろうか。
この近くで買い物をするとしたら、
おそらくあの店だろう、という予測を無意識にする。
たばこを吸うということは、
室外に出ていたか、喫煙所に篭っていたのだろう、
ということも想像がつく。
○んこに至っては………
しかし、実はこのことが、大きな誤解を生むこともある。
的を外した回答から質問者が予想した事柄が実際と異なる
ということも少なからずある。
ええッ、あれってそういうことだったの?!
ということは結構あるだろうし、
そう思い込んでるだけで真実を知らないままかもしれない。
買い物も、近所のコンビニに行っていたと思ったら、
実は1駅先のスーパーまで行っていたとか。
たばこも、喫煙の為にどこか近くへ行ってただけと思ったら、
たばこを買いにコンビニまで出かけてたとか。
う○こに至っては………
でも、後で真実を知るにしろ、ずっと知らないままにしろ、
それでも何気にコミュニケーションができているのだから
すれ違いだらけでも会話は成立するものなんだなと。
そう考えると、意図的に誤解を狙った回答をしたりとか、
質問者もみなまで聞かず、ある程度で察したりとか、
明らかにごまかしてると解っても騙されたフリをするとか、
そういう真実を避けたやり取りというのは多い。
こういうのをいわゆる“空気を読む”というのだろうけど、
普段の人間関係の中では、ぶっちゃけ正直トークなんかより、
悪い言い方をすれば、こういう化かし合いだらけでしょう。
…みたいなことを、さっき風呂の中で考えてたのでした。
ああ、9月ですね。セプテンバーですね。
何だよこの時間の急流下りみたいな感じはッー!

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