現在、世界で地球外の知的生命体を探すプロジェクトが進行中である。それは「地球外知的生命体探査(Search for Extra-Terrestrial Intelligence)」、略して「SETI」と称されている。科学的な地球外生命の探査は、1960年にはじまった「オズマ計画」に端を発し、一度は米NASAによる調査も行われていた。ただ、長年に渡る調査の中で、残念ながら地球外生命の存在を確信できるような結果はいまだ得られていない。
どんな調査をしているのか
SETIプロジェクトでは様々な手法で知的生命へのアプローチが試みられているが、その中でも中心的なのが電波望遠鏡で受信した電波の中に人工的な電波が存在しないか、という調査だ。自然界(宇宙)には電波を発する現象は数多くあるが、例えば、そのような日常的に受信されている電波とは明らかに性質が異なる電波、ある規則を持っている電波、そのような条件から、対象の電波に知的生命が介在しているかどうかを予測するのである。
この電波については、現在「SETI@home」という分散コンピューティングプロジェクトでも解析が進められている。電波望遠鏡で受信したデータを小分けにしてインターネットで配布し、それを専門機関や研究者以外の一般の人たちのコンピュータでも少しずつ解析しようというわけである。これは誰でも参加できるので、興味のある方は参加してみても良いだろう。
地球外に知的生命体は存在するのか
根本的な疑問であるが、これについては「存在する可能性は否定できない」ということしかいえない。というのは、地球上に人間という生物が存在していること自体が、宇宙というのはそのような存在が許されない場所ではない、ということの証明になっているからだ。当然、地球以外の惑星にも、地球のような環境が整えば、似たような生命が発生する可能性はあるのであり、そこに何らかの知性を備えた生命体が生まれる可能性も当然あるわけである。
もし、高度な知的生命体が存在したとする場合、ではなぜ彼らは我々地球人にコンタクトしてこないのか、という疑問も当然沸いてくる。一般的な回答としては、まだ他の星へアクセスできるほどの文明を持っていないため(地球人レベルの文明でとどまっている)、であるとか、十分に文明は発達しているが地球人には何らかの理由でコンタクトしていない、であるとか、最も現実的な話として、他の星にアクセスできるほど文明が発達した知的生命は同時に自らを滅ぼし得る兵器も持っており、発達しすぎた文明は遠からず自滅するからだ、というような見解もある。このあたりの話は、SFの題材としてもよく扱われているだろう。
その前提は正しいか
科学的な知的生命の探査というのは、宇宙に自然には存在し得ない人工的な何かの痕跡を探すことがその中心となっている。光学的な観測も然り、電波も然りである。それは即ち、地球外生命も地球人(或いは地球に存在する生命)と同型の存在である、ということが暗黙に前提されている。
つまり、こういうことだ。知的生命体であれば、彼らが何かコミュニケーションをとる場合、人工的な電波を発するはずだ。何らかの人工物をその手で作り出すことができるはずだ。地球にアクセスするには、宇宙船のようなものが必要だろう。そのような存在でなければ知的生命体とはいえない。知的生命体とは何かという明確な定義はないが、大体このようなことを想定しているだろうということである。それらはそのまま、「もし地球人が他の星にコンタクトできたとしたら」という場合の想定そのままなのである。
しかし、果たしてそうだろうか。それ以外の可能性はないのだろうか。必ずしも人の形をしていないかもしれない。豆粒のような形かもしれないし、水や空気のような存在かもしれない。或いは、地球人には全く触れることができないような形態で存在しているのかもしれない。研究者の中には、そのような可能性を考えている人もいるかもしれないが、一般的な話としてそれらの可能性が語られることは稀である。というのも、仮にそのような知的存在があったとしても、地球人に形としてみえない以上は、架空のもので終わってしまうからだ。結局、地球外知的生命探査というのは、お互いに「Hello!」と挨拶できるような相手を探しているということになるのだろう。
地球外知的生命体に何を求めているのか
最初にも書いたが、宇宙の中の地球という星に、現に我々という人類が存在している以上は、地球人のような知的生命体が他の星にもいるのではないか、という期待がある。これは、学術研究的な興味も当然あるが、それ以上に、この地球以外の仲間、同士、そのような者とのコミュニケーションを持とうとしているという人としての性格そのものの現われだろう。基本的に社会的動物である人は孤独であることを好まない。自分たちの住まう地球という星が、宇宙の中のただ1点であると認識できるようになった今、その外に広がる宇宙にそのコミュニケーションの手を広げようとしているというのは、ある意味人という生物の性であると思う。