数の絶対

えらく難解。学のないパンピーにはとてもじゃないが理解できない…。
およそこう思われて嫌われるのが自然科学。
では、なぜそんなに難しく思えるのか?
おそらくその理由の大部分を占めるのは、
それが「数」、つまり数学を扱う学問だから、でしょう。
つまり、記号や数式を並べてあーだこうだいうのが分からないわけです。
自然科学も、普通に自然言語で扱うことはできないのか。
例えば、現象や法則を日本語で記述してみてはどうか。
そう考えると、言葉のニュアンスや解釈というのがいろいろで、
それが極めて曖昧なものになってしまうと。
ところで、数学は、そういう風に式を書いてしまえば、
その式の解釈の仕方は1通りです。
そこから導かれる解も、同じ条件(パラメータ)を与えてやれば、
必ず同じものが出てくるわけです。
今更いうまでもない話ですけどね。
これが、科学という分野が数学を支持している理由であるわけです。
で。こう考えると、実は、
数学ほど単純でわかりやすい言葉はないという気がしてきます。
「1+1」は、誰が解いても「2」なわけです。
結局、物理学などで使用されている数学はこの延長なんです。
自然界には、いろんな現象がある。
風が吹き、雲が流れ、さざ波が立ち、草木が揺れる…。
太陽が照り、月が輝き、星が瞬く…。
人が生まれ、育ち、考え、そして死ぬ…。
これら全て自然現象で、
あらゆる主観で捉えられて、認識されて、
さまざまな言葉で形容されて、解釈されて、表現される。
その表象たるや、それを見る主観の数だけ存在します。
同じ「風」という現象でも、
私が感じる「風」と、私以外の誰かが感じる「風」は違うものです。
オブジェクト指向っぽくいうなら、
私が感じる「風」というクラスは、
「私が感じる風」というオブジェクトになっている。
(プログラマには、この表現が一番分かりやすいかと…(笑))
でも、数学は、それをばっさり切り捨てるわけです。
その風を構成する原子、分子、風速、その発生原因と発達、等々、
それらを「方程式」という一意の表現で割り切ってしまう…。
自然というのは、どっちなんでしょうね。
つまり、実際に記号や数式のオバケみたいなのが真の姿なのか、
それとも、記号や数式はその真実の姿の一側面に過ぎないのか。
つまり、ハードプロブレムに挑戦するにあたって、
数学という「わかりやすい」道具を捨てるべきか否か、という大問題。
ただ、今のところ私たちは、
数学に代わる「わかりやすい」道具をまだ発明できていない、
ということですね。きっと。

コメント

  1. calc より:

    >その式の解釈の仕方は1通りです。
    式の表現は1通りかもしれませんが、解釈の仕方は必ずしも1通りではありません。
    解釈の多様性が、学派や派閥を生んでいるわけで。
    もし、解釈が1通りだったら、そもそも論争は生まれないでしょう?

  2. 月影 より:

    コメントありがとうございます(^^)
    そうですね。解釈は多様ですね。
    解釈…というのは、結局人の考え方の差になるから、これも実はハード問題に部類されるものを含んでいるのかもしれません。
    ここは、数学の式なり数値なりは、そう書いてしまえばそれしかない…という話をいいたかったので、「解釈」というのは表現がマズかったです。

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