小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学

11月2日の夜から5日の夜まで4回に渡って、
「小柴昌俊博士の楽しむ最先端科学」という番組が放送されていました。
(NHK教育で)
内容は、小柴さんというよりは、
その4つの主題を専門にやってる人たちが語るという内容だったけど、
その上に小柴さんをのせるあたりは見せ方ですかね。
(ちなみに小柴さんは2002年のノーベル物理学賞受賞者
内容は、第1回は宇宙論、第2回は脳科学、
第3回は量子物理学、第4回は言語学といった流れ。
いずれも自然科学のカテゴリですね。
その名の通り、結構楽しめる内容でした。
まぁ高校生相手の話で、時間も1時間弱なので、
それがどういうものかという程度の概要でしたが、
ああいうのは、
その分野に興味を持つ入り口にはなると思うんですよね。
最近、科学番組とか教育番組が極端に少なくなっているのは、
そういうことに興味を持つ余裕が社会になくなっているからか、
ただ単に勤勉さが衰えてきているからなのかはわかりませんが、
そういう需要が少なくなっているということは確かです。
そのことの反映でしょうね。
難しい話は、専門にやっている人に任せとけばいいや、と。
自然科学なんて、とりあえずあまり実用的でないし。
知ってたってトリビアみたいなもんでしょと。(へぇ~)
違うんだな、チミたち。
昔の人は、いろんなことをよく知っている、といわれます。
おばあちゃんの知恵袋とか、おじいちゃんの道具箱とか。
(後者は違うな…)
打ち水をするとなぜ涼しくなるのか。
夕焼けの次の日が晴れやすいのはなぜか。
雷が鳴るとなぜヘソを隠さなくてはならないか。
…などなど。
こういう知恵があるのは、
その原理を体感で知っているからなんですよね。
水が蒸発するときに地面の温度を奪うから涼しくなる。
西の空が澄んでいればしばらく雨を降らす雲はこないということ。
雷が鳴るのは積乱雲がある(寒冷前線が近い)証拠。
ヘソなんか出していると風邪ひくぞ。
数式とかではないこういう自然科学の在り方もあるんです。
つまり、その因果を考えられるかどうかということ。
こういう原因があれば、こういう結果になる(なりやすい)。
逆に、この結果があるということは、こういう原因があるはずだ。
そういうことを日常的に考えられるようになれば、
山の中にタバコや空き缶をポイッなんてできないはずなんですよ。
原理法則を学術的な知識として知れといってるんじゃなく、
要は、そういう考え方ができるようになるべきだ、ということ。
テレビ番組もバカばっかやってないで、
もうちょっと自然科学にも眼を向けてほしいよなー。
そういう番組やってるのは、もうNHKしかないし(地上波だと)。
そのNHKでも、レギュラー的なのはサイエンスアイくらい?
(今はサイエンスZEROか。)
民放がやらないのは、スポンサーがつかないからなんでしょうね…。
いいから、政府機関がスポンサーになってあげなさい。
そういうことに税金が使われるのなら、私は全然OKすよ。
メディアも、視聴率至上ではなく、
もうちょっと番組の質(内容があるかどうか)にもこだわって欲しいです。

コメント

  1. 雅亮 より:

    たまたま言語学の回を見ました。「実用的でないものはいらない」つてのは嘘ですよね。「いらない」ことを知っているのが人間か、と。学問のみならず、今は「いらない」ものを切り捨てる思考が流行りなのが心配です。

  2. 月影 より:

    コメントありがとうです。(^^)
    人間は、多分唯一生きる為には直接必要のないことができる生き物なんですよね。逆に、それが人間らしさでもある気がします。中でも知的好奇心は、日常にはあまり関わらないけど、これがなかったら、人間の今の文明はないと思います。いろいろな意味で取捨選択の判断は大切ですね。

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