「アノ子はやればできる子だ」などという言葉が持て囃され、
普段ダメな子を勇気付けたりとかされてるんだけど、
どうやら、やるやらない、ということ自体が
既にできる子かどうか、ということに含まれているということを、
社会に出てからやっと悟った私。
誰でもやればできる可能性を持ってますよ。そりゃ正論。
私も子供の頃、自分は普段はあまり冴えないんだけど、
それは自分が本気を出していないからであって、
本気になれば何だってできるんだ、
思いっきりジャンプすれば空も飛べるんだ!などと、
それこそ本気で思ってました。ただのアホですね。
本気を出さないまま大人になって、
そのままズルズルと惰性で人生を送っている、
という人が特に日本では大多数のような気がするけど、
実際、本気を出せる環境がないのかもしれないよね。
とにかく波風立てないように無難に生きること。
親や学校なんかでそういう常識を刷り込まれて育つ子供が多いと。
スポーツ選手になるんだ、宇宙飛行士になるんだ、
みたいな実現可能性の低い夢を追いかけるよりも、
良い学校を出てなるべく安定した職に就くことが目標に据えられてしまうと、
やっぱり概ねそこに流れていくしかないわけで。
やればできる。でもそれは、やらなきゃできない、ということでもある。
やらなければ、いつまでたってもできない(アタリマエ)。
それは即ち、できない、ということなのよね。
で、自分の夢とかやりたいことを、本当に実行できるかどうか、
つまり、本気になれるかどうか、ということも、実は才能のうちなんです。
自分は才能が無い、なんて思ってる人は、
大抵の場合、本気になれないだけなんだよなぁ。
宝くじは買わなきゃ当らないのと同じで、
行動を起こさなければ何も始まらない。
要は、最初から何も行動も起こさないでいながら、
自分はできない、と尻込んでる人が多い。
それでいて、今成功している人を一方的に羨む。
あいつは才能があっていいよなぁ、なんて。
その才能というのは、
本気になれるかどうか、という性格も込みなのね。
ああ、そういう意味ではやっぱり才能がない、ってことか。
昨日ね、思いっきり寝坊したんですよ。
職場には朝の9時半までに着かないと遅刻なわけです。
いやフリーに遅刻もないんだけど、信用面で。
で、目が覚めたのが8時44分。(その時間みてギョっとした。)
職場は品川です。駅から徒歩約15分程度。
おうちは横浜。実際には菊名。駅まで徒歩5分程度。
普通に移動したら、菊名から品川は40~50分程度を要します。
どう頑張っても9時半は無理ぽ。
そう思うでしょ?
いや、昨日は違いました。
まずガバッと起き上がって、
ワイシャツをひっつかんで羽織って、ズボンを履きながら顔を洗い、
爆発してる髪の毛をワックスで押さえつけつつ、
見た目目立つところだけシェーバーかけながら、
スーツ着てマフラー巻いてコート着て戦闘準備完了。
これ、今思えば、起床から外出可能状態になるまで10分とかかってない。
それだけで我ながら神業だったんだけど、
その間、頭の中で最短ルート探索が走っていて、
はじき出されたのが横浜線→新幹線でした。
駅まで走って、9:00菊名着。
9:02の八王子行きに飛び乗って、9:04新横浜着。
階段駆け上って駆け下り、新幹線の自動券売機へ。
自由席、品川まで購入。値段が確定する前に1110円突っ込む。
(この値段は前の経験で学習済みだった。よく覚えてた私!)
きっぷが出るや否や引っこ抜いて自動改札を抜け、
東京方面ホームに入線していた9:07発のぞみに飛び乗る。
乗った瞬間安全柵と扉が閉まって発車。
9:18品川着。猛ダッシュで御殿山を駆け上り、9:28職場着!
なんと、菊名から品川まで20分かからず移動してますよ。
ドアtoドアで40分以内というベストタイム。
ていうか、起床してから1時間以内に職場に着いている奇跡。
(家は横浜の片田舎。職場は東京ど真ん中。ということを考慮してね)
本気になればこんなもんだ。
物理的に無理だと思っていた時空も超えるんだねっ。
(その前に、早く寝ろと。)
いえね、本気になるには、
何か強制的にそうさせる切迫した事態がないといかんのかなぁ、と。
尻に火がつかないと走らないというか。
学校で、ノーベル賞を1つ以上とらないと国外追放、
大リーガーにならないと死ぬしかない、
とか教えたら、みんなマジになるか?
まぁそれは極端だけど、今の日本のモッサリした教育はなんとかせんと、
日本の子供はずっと閃かないまんまじゃないかなぁ。
(ゆとり以前の問題)
とか、昨日ゼイゼイ息切らしながら新幹線の中で思ったのでした。
コメント
全部込みで才能ってのは本当にそう思いますわ。
本気になれるかどうか、努力できるかどうか、そして運を呼び込めるかどうか。
エジソンは「天才は1%のひらめきと99%の努力」と言ったらしいですが、ひらめきも努力も才能のうち、才能のある人と天才と言うのだとしたらなんか変な言葉だと思う。
「努力だけではどうしても超えられない壁があって、それを超えられる能力を持ったものを天才」とか。
「彼は才能はないんだけど、運はいいんだよなあ。」なんてのも矛盾して聞こえる。
じゃあ才能とは何か?天才とは何か?って結局言葉の定義のような気がします。
運というならば、世の中全部が運ですよね。
少なくとも、事の成り行きを確実に予測できない人間からしてみれば、どの道を選択すれば、人生上手くいくかなんてわからないわけで、その中から自分のやりたいこととやるべきことと適正(なんてのがあるかどうかもわかりませんが)が一致して夢叶うというのが、解がいっぱいあるジレンマ的な方程式になってる感。
「才能」という言葉をあえて定義するなら、その方程式の解を1つでも見つけることができる人が“才がある”のかな、とか思ったりはします。その解というのも個人によってバラバラで、いわゆる“正解”はないけど、“好解”とか“良解”(あくまで本人主観)みたいのはあるでしょうからね。
天才といえば・・・。
知り合いに、近所だからと言う理由で、東大に行ってる人がいたのですが、記憶力は、相当良かったですネェ。
記憶力もそうですが、Αという話をすると、それに関連する為になる情報が、スパッと出てくるって言う感じ。(これが、良解ってヤツなんですかね)
あと、1%のひらめきと、99%の努力ってヤツですが、ああいう人を見ると、天才ポイントが私の場合、10とかなのに、ああいう人は、1億とかあるのではないか?って思います[E:snow]
それと、時間って買えるんですよねぇ。金持ちにゆとりがあるように見えるのは、時間を買ってるんですなぁ^-^;
時間を買うと、高いっすよねぇ。[E:coldsweats02]
人生における“解”ってのは、人によって評価が変わるものだと思うんですが、より多くの人に“正解”だと思われるようなところを選択できた人が成功者のように扱われてるんだろうなぁ、とも思えますね。
まぁ欲を出さなくても、自分がOKと思える道を行けたら、それで良いんでしょうな。