記憶の固執

最近、電車や飲食店などで、
雑巾臭い人によくエンカウントします。
実は自分が臭いのかと思って嗅いでみるけど、
とりあえず自分じゃなさげ。
自分の匂いは慣れてしまうから、
自分発の匂いは感じなくなっているのかな。
ということは、やっぱり実は自分も臭いのかも。。。
匂いを感じなくなるって、実はすごく怖いことなのね。
(鼻利かなくなったら香水かぶるしか。)
満員電車で雑巾臭い人に押しつぶされながら、
電車の窓の外をぼーっと眺めながら思ったこと。
毎日毎日この流れる風景を眺めているはずなのに、
そのほとんどを全然覚えていないことに気づく。
だからといって毎回新鮮な光景ということはなく、
毎日相変わらずの景色だと思っている。
むしろ、ちょっとした変化には全く気づかない。
この人間の脳ミソのメカニズムって
一体どういうことなんだろうと思うんですよね。
車窓から入ってくる映像の情報量としては、
ディスク容量にするなら何GB、何TBにもなると思うんだけど、
それがどんどん入力されつつも脳はいっぱいにはならない。
それは、その情報を記憶していないからかといえば、
そういうわけでもない。
だって、その風景を一度見れば、
二度目以降は前に見たことがあると感じるから。
ということは、一度記憶して、それを忘れているのか、
というと、忘れているというわけでもなさそうで。
脳に情報が一度入力されたことがあるものなら、
次にそれと同じ入力トリガが発火すると、
それが以前のものと同じであると認識する。
このメカニズム。
これって、記憶とか忘却とかいうこととは全く違う、
何か異質の概念なんじゃないかと、ふと思ったんですな。
記憶というのは、
その状態、様子などの情報をそのままの形で記録すること。
もしくはその情報の一部を記録することでしょう。
デジカメで記録する映像は、実は一部情報が圧縮されて、
人間に認識できる部分だけに断片化されたものなので、
情報の一部を記録している、といえそう。
忘却というのは、
その情報を全て無くすこと、あるいは無意味にすること。
デジカメの映像をディスクから消去すれば、
あるいは全く別の映像で上書きしてしまえば、
その映像は二度と再生することができなくなる。
人間の頭の中に入っている情報というのは、
どうもそういう種類のものではない気がしないか。
忘れた(無くなった)と思っていた記憶でも、
何かのきっかけで思い出したりすることがあるし、
かといって、その情報を完全に再現できるほどかといえば、
そんな明確な状態でもなく、
ときには別の形質に変異していたりすることもある。
これはどういうことなのか。
そのへんの言語学者にいわせれば、
言葉にならないものは記憶として残りにくく、
その正確な形状を保ちにくいのだということだけど、
対象が何か言語になった時点で、
その正確な形状は既に失われてるんだよね。
言語というのは、いわば記号ですから。
同様に、コンピュータの記憶というのは、
対象の情報を0と1に記号化したものですわね。
「雑巾臭い」という記憶が私の中にあって、
それは確か小学生の頃、
教室の掃除で床を雑巾で拭いていた記憶にあって、
そのときの雑巾の匂いと、
今しがた私を押しつぶしている人の匂いがダブって、
ああ雑巾臭ぇ、と想起するわけだ。
ただ、それは何か言葉になっている記憶というよりは、
むしろそういうエピソード記憶に近いものなのです。
そういうものでも、イメージとしては、
むしろ明確に思い出すことができる情報であると。
常々不思議に思っていることがもうひとつ。
雨の日って、何で電車に乗る人が増えるんだろう。
これは絶対気のせいじゃない。
いや、気のせいかもしれんけど、
そう断定せざるを得ないほど人が増えているように感じるには、
何か理由があるはずであり、
その解を誰か30字くらいで簡潔に説明できませんか。
雨の日は異星人でも沸いてるんじゃないか。

コメント

  1. 匿名 より:

    BMPとJPGの違いみたいなもんじゃね?
    JPGって情報が間引かれてる

  2. 葛城 より:

    >人間に認識できる部分だけに断片化されたものなので、
    情報の一部を記録している、といえそう。
    簡単に言えば、圧縮された『記憶』を後追いしているだけでは。
    人は簡単に日常を圧縮記録しており、それを圧縮ファイルを読む
    がごとく、簡単に上っ面だけを読んでいると、話がシンボル化し
    て陳腐化されやすいのかもと思えます。
    >対象が何か言語になった時点で、
    その正確な形状は既に失われてるんだよね。
    記号化そのもの自体が、ココロという深淵な働きの前に簡略化さ
    れた残映に過ぎず、定型化したとたんに霧消してしまう(本人に
    は別)ほど脆い観念に過ぎないのかもねえ。。
    >雨の日は異性人でも沸いてるんじゃないか。
    これも正しくは、異星人が正しい。かな(笑)
    わたしゃあ、金星人らしいから。
    #テレビに出ている、あの肥満御婦人(細木)の言によれば。。

  3. 月影 より:

    まずもって、jpegやbmpというのは、圧縮非圧縮の違いはあれど、その時点の形状そのものを記録してるもので、対して人間の記憶はそうじゃないよなぁ、というのが、今回思った主テーマだったりします。(テーマってほどでもないけど)
    コンピュータのディスクやメモリがやっているのは、言葉を使い分けるなら、人間のやっている“記憶”ではなく、単純な“記録”ですわね。その根本的な原理が違うのはわかっていながら、普段私たちはそれらを同等に扱っているところがあって、いざその違いに気づくと混乱する(今回の私)みたいなことになるんじゃないか。
    # 「異性人」は修正しました。(w

  4. RORO より:

    雨天に人は傘等で縄張り範囲が広がり、車内面積は変わらないから
    (30文字)
    冬になると混雑率が上がるのは厚着するからですなぁ。
    でも、本当は人が増えてたりして・・・。

  5. 月影 より:

    いやあ、傘だけじゃないですよあれは。
    電車に乗る前、ホームの人口密度から明らかに違う気が。
    気が。。。やっぱ気のせいかな・・・。

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