謙譲語

皇室のニュースが頻繁に流れるようになる。
何だか普段耳慣れない言葉が乱舞する。やたら尊敬語や謙譲語が使われるのである。全ての言葉に「御」がつくので、あまりの徹底にちょっと笑ってしまうほど。
ところで、あれの意味がわからないという人がいる。おかしい、とは思うが、意味がわからない、ということはない。そう思っていたのだが、どうやら本当に意味がわからないらしい。そして、なぜあのような言葉遣いをしなければならないかも、その意味がわからないという当人達にはわからないのだろう。
そういえば最近、めっきり敬語が使われなくなったな、と思う。敬語というのは、その字の通り、相手を敬う言葉遣いである。これは、そのまま礼儀に直結する。礼儀というのは、おそらく形式上のものだろう。しかし、そうしなければならない、という精神が大切なのである。儀式自体は形式のみで良いが、その行為が自発的に出てくるかどうか、である。おそらく最近の子供はそういう教育がなされていない。とにかく実力主義で、優位なものが劣位なものを見下せる、という見方でしかものを見ないのだ。
実力主義は良かろう。上を目指して大いに頑張ってくれたまえ。しかし、礼儀は、それとは別のものである。人同士が接するとき、その摩擦を減らす潤滑油になるものである。心にも無いことを云うのは気がひけるか。敬語を使うほどの奴ではない。その必要もない。そう思うだろうか。違うのである。逆に、自分こそそれほどの奴か、と思うべきなのだ。
多分、東洋の文化に育った者ならこの心得は理解できると思う。欧米には、最低限の敬語はあるかもしれないが、謙譲語なんてものはない。自分が謙(へりくだ)る、などという考え方はおそらくない。日本には、もともとそういう文化があるのである。これは、お互いいがみ合ってばかりいる今の情勢で、一番思い出されるべき精神ではないかと思うのだが…
いや、だからみんな「御」をつけろというのでなくね、そういう心構えが必要だろう、といいたいのである。

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