「この世界の片隅に」観ました(ネタバレ)

今この作品が世間で話題になってる理由はいろいろあるようだけど、私の場合、これを観た人の感想が何だか一様に煮え切らない、一言でいえないだが良かった!みたいなものばかりだったので、「何が?」とえらい気になって、これは観ずにはおれんだろうという感じでした。

事前予測としては、最近朝ドラとかでも流行ってる(?)時代の話、つまり、戦時中、そして終戦にかけてくらいの広島におけるドラマ、特に女性が主人公ということで、戦火の中の女性を描くことで反戦、反核兵器、それに対する女性の苦労を訴えるような内容なのかなという感じだったのだけど、まぁコレは良い意味で裏切られました。

以下、ネタバレ含みます。
※まだ観てなくてこれから観る予定の人は、先入観なしにまず映画を観ることをお勧めします。


舞台は広島、呉。広島はともかく、呉は一般にあまり知られていない街かもしれない。呉港は戦前から戦中にかけて日本海軍の拠点となっていた軍港で、その背景に広がる街も海軍や軍人を中心に栄えた軍都でしたと。主人公すずは、広島からこの呉に嫁いで日常生活を送ることになる。その様子が何のとりとめも、脚色もなく描写されていく。戦時中ではあるのだけど、戦争自体にはフォーカスされていなくて、その時代にあったごく普通の日本の家庭の様子を眺めてる感じ。ざっと見通しても、特に強い主張のようなものは感じられない。

戦争ドラマにありがちな”戦争はこんなに酷い悲劇を生む”からの戦争はあってはならない、平和を守ろう的なメッセージも感じられず、それゆえ思想の押し付けのようなものもないので、淡々とした印象。その意味で、戦時中ドラマとしては斬新といえるかもしれない。ただ、その時代、その背景にはやはり戦争が進行しているわけで、それが主人公すず周辺にも理不尽な出来事を引き起こしていくのだけど
それも、いってみればその頃の”日常”であったと。

港には軍艦がひっきりなしに出入りし、軍人が街を徘徊し、すずの嫁いだ周作は軍法会議で働く文官だし、北條家のお義父さんは軍用機の開発従事者だし、つまり、そういうことが今でいう普通のサラリーマンと同じ位置づけで日常の一部として回っている時代。ただ、戦況が差し迫ってくると米軍の本土空襲も始まり、軍都である呉はその格好の標的にもなっていったと。空襲警報の発令と解除が繰り返されるのも日常になっていくと、本当に焼夷弾が降ってくる日もあれば空振りの日もありと、当時の呉で暮らす人々の間では、米軍機による空襲がまるで天気予報か今どきの地震情報みたいな感覚で扱われている。

それはつらい状況で、耐え忍んでいるのは確かなのだろうけど、「やれやれ」程度にサラリと流してる人たちの様子とか、すずのボケキャラも手伝って、何か不思議な暖かさを感じる。それが当時の呉の正確な描写であるかというと、あくまでそれは原作者こうの史代氏によるフィクションであるし、片渕須直監督の表現したかったものというところによるのだろうけど、原作あとがきに注釈してある参考文献や映像資料などをみると、その考証は実際にあった出来事をモデルにしていることがわかる。

片渕監督もこの作品を映像化するにあたって、ちゃんとそのへんのデータリサーチをして仕事にあたってるようで、要は、意図的に当たり障りのない軽い表現をしているわけではないと。とはいえ、全てアッケラカンと流してるわけじゃなくて、空襲の時限爆弾によってすずの右手にもたらされた悲劇とか、
敗戦を受けてのすずの感情の高ぶりなんかはしっかり描写されている。それらを含めて、当時の日常の中の起伏が表現されてるのね。

あと、これはすずの夢なのか妄想なのかわからないけど、ちょいちょい微妙にファンタジーが入ってくる。すずは絵を描くのが好きなのと同時に絵本か何かのような物語を空想するのも好き(というか癖)なようで、そうした内容が劇中劇でありながら本編にそのまま介入してくるという、面白い描写のされ方になってるなと。

オープニングでの周作との出会いからして夢なのか実際の何かをすず視点で描写しているのかわからないけど、初見ではちょっと理解するのに戸惑うところかも。このちょっとファンタジーも、この作品の特徴ではあるか。

ちなみに、原作は単行本として上、中、下の3巻で出ていて、私も映画を観た後、Kindleでまとめてダウンロードして読破しました。3年分の連載作品を2時間ちょいの映像に圧縮しているので、その内容のいくつかは端折られてはいたけど、概ね原作通りの内容。どっちを先に見たら良いかというと判断に困るけど、まぁどっちでも良いかなぁ。

ネタバレなしで映画を楽しみたいなら、原作は後回しなのが良いだろうし、予め原作を読んでいれば、内容を理解しながら観られるというのも確かで。先の通り私は原作を読まずに映画を観たんだけど、
観ていて展開が急で話を把握しきれなかった部分もあったのよね。そこは原作を読んで理解できた感じ。

あと、作中に遊女の白木リンという人が登場するのだけど、映画では遊廓でのすずとの出会いの部分が描かれていただけで、その後のエピソードや背景となる話がほぼ丸っと端折られてた。確かに、これを入れちゃうと2時間の枠にはおさまらないだろうしね。すずが周作の手帳を彼の職場まで渡しに行くくだりがあるのだけど、その手帳の表紙の一部が切り取られてるのよね。そこがなぜ切り取られているのか、映画の中では明らかにならないのだけど、これは原作を読んで「そういうことか」となった部分。
監督のインタビューを見ると、最初は全部やるつもりだったらしく、ここはその名残ということになるのかなぁ。

そのうちOVAとかでそのへんを補完した完全版が出るのかな?で、感想は?と言われると、何ともモニョるしかない内容でありつつも、当時の人間ドラマというのが巧みに表現されてるなぁ、と言うしかなく。

何か、主人公すずのボーっとした性格がむしろキャラ立ちしていて、さらに、すずの想像(妄想)部分?もその日常の中に埋め込まれているので、観た後、何かフワフワしたような感覚になる映画であるなという感じ。戦時中ドラマというのは、今の時代を生きる我々にしてみれば、日本が負ける、特に広島においては原爆が落ちることを知っているわけで、その結末を知りながら、そこに向かって時が流れていくのを俯瞰しているいわばネタバレ状態で観ることになるのよね。

戦争は残酷で平和が何より。そんなことは言われんでも分かってますよと。エンタメである映画にそんなメッセージを込めるのはいかにも押し付けがましい。戦争は実際に起こったのであり、そこにあった日常とはどういうものだったのか。その過程やその期に及んだとき、その人たちはどう立ち居振る舞うんだろう?広島や呉の穏やかでさっぱりした人たちは、そこにどう当たるんだろう?特にすずはそれをどう受け止めるんだろう?おそらくそうしたあたりがこの作品で見せたいメインテーマであり、実際私はそこに興味を持って観ることができたので、いろいろ合点できた…というのが私の総評ということになるのかなと。

ちなみに、広島の言葉というのは、これを観て私の出身である鳥取にも近い感じなんだなと思った。
鳥取では語尾が「~じゃ」とはならないのだけど、それ以外のイントネーションや単語は概ね同じ。広島出身の新谷真弓さんが広島弁のガイドをしたということだけど、能年(のん)さんをはじめ声の出演の人たちの地元民再現度は素晴らしいもので、聞いてて地元出身者独特の恥ずかしさすら覚えたくらい。あと、うちの祖父も戦時中は呉に出ていたと聞いているので、今も存命ならその頃の話も聞けたのになぁとも思ったりで、何かいろいろ珍妙な親近感も感じながら観られた映画でもありました。

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