3.11大震災

あえて書くまいと思ってましたが、
最近ブログを全く書いてなかったこともあって、書いてみようかと。
(そんな理由かい)
てことで、1年前の今日、東日本を襲ったあの大地震について
私が思ったことのまとめ。
○その日、私は…
どこにいたかというと、職場にいました。
職場は都心の20階建てビルの15階。
まぁ、揺れました。船酔い(ビル酔い?)するくらい。
そのときはソースレビュー中でしたね。
そこで突然ガーンッて感じで揺れ出して、
窓備え付けのブラインドとかがガシャンガシャン鳴ってて
私はキャスター椅子に座ってて前後左右に流されるので、
そのままどっかへ行かないようにに机を掴んでました。
…というようなことを、今でも鮮明に思い出せます。
○直後の行動
その日は、都内の市街地はどこも騒然としてました。
道路は大渋滞で歩く方が速く移動できるような状態。
電車も夕方近くまで運転見合わせが続いて、
ぼちぼち動き出したのは夜8時くらいから…が、しかし
電車に人が乗りきれず都内の駅は軒並み人溜まりに。
思ったのは、被害がそれ以上拡がらないと分かってる場合、
しばらく今いる場所から動かないのが良いってこと。
もちろん、津波が来るかもしれないのに
海岸付近で動かないというのは論外。逃げてください。
あと、火災で火が迫ってるときに信長を演じるのも駄目。
今回のケースだと、特に大きな被害が出なかった都内とか
近郊の商業地や住宅地などにいた場合ですね。
電車が動き出しても、しばらく様子見。
あと、都内の鉄筋コンクリートビルはそれなりに頑丈で、
震度5、6程度で倒壊するようなことはありません。
78年竣工の池袋サンシャインでも特に目立った損壊なしでした。
(屋上クレーンが傾いたこと以外は…)
仮に大きく揺れたとしても、下手に外に出ない方が良さげ。
外に出ると、上から横からいろんなものが飛んでくるので、
ビル内に留まった方が余程安全です。
…というか、高層ビルの15階とかにいて
そのビルが崩れるほどデカいのがきたら、もう神に祈るしかない。
○翌日以降の行動
交通や通信網などのインフラの混乱は続いてるので、
翌日もなるべく家から動かない方が良い感じ。
幸い2011年3月12日(地震翌日)は土曜日だったので
多くの経済活動は休業だったけど、
仮に営業日だったとしても、その日は休業にすべきでしょう。
仕事をすることで平静を保つという人もいるかもしれないけど
いつも通りは無理なので、その場合は復旧作業という名目で
いつもの仕事はやめて営業準備をするとかが良い。
で、その日は何をするかというと、情報収集。
テレビ、ラジオ、ネットなど現在ある文明の利器を駆使して、
自分が関わる範囲の情報収集に努める。
電気、ガス、水道の供給が今後どうなるかとか、
自分が普段使う道路や鉄道がどういう状態になってるかとか。
中でも重要なのは、危険な場所や行為に関する情報。
近づくなといわれている場所に興味半分で近づかないこと。
あと、買い占めとかアホなことしない。
気持ちはわかるけど、あれは他の人の物資を奪う行為。
そこはいつも通り、必要なだけ購入するというのが
みんな平等に必要物資を分配することになる、ということ。
○できること
私は今回の地震で特に被害を受けなかったんですが…
いや、まぁ大分経済活動が抑え込まれた感はありますがね、
物理的被害は、これといってありませんでした。
(あえていえば、CDラックが落ちて壊れてたくらい…)
それに対して、特に東北の太平洋側の地方は
それこそ歴史的な大災害に見舞われ悲惨な状況なわけです。
でも、そんな人たちに私が何かしてあげられるかというと…
現地へ行って救援活動するにも、私にも生活があるので
今の仕事を投げ出してそこへ飛び込む度胸はない。
募金なんかも、数千円、多くて数万円程度ならできるけど
私なぞにできることといったらそんな程度です。
ならばどうするか。
結論としては、いつも通り生活するしかないってこと。
何もできないのに、下手に何かしてあげようとか思わないこと。
それって、何か被災者を憐れむ気持ちに繋がる気がする。
実際に何もしない人、何もできない人が
被災者は可哀想、大変そう、頑張って欲しい…なんていうのは
当事者にしてみれば単なる同情でしかないんですよね。
これは、逆の立場だったら…と考えたらすぐわかること。
実際に行動しない人が口だけキレイなことをいうのは
あえてトゲのある言い方をすると“偽善”に過ぎない。
この際、本心から心配しているかウワベだけかは関係ない。
どちらも当事者の目には同じように映るだろうということ。
逆にいえば、被災地に救援物資を送ったり、
直接現地へ出向いて救援活動に参加したりすることは、
仮にその動機が賞賛されたいという偽善であったとしても
被災者にとっては立派な救援活動に違いはないということ。
○備えること
大地震に備えてできることというのは
もう日頃からいわれていること、月並みなことでしなかいと思う。
それが一般的になかなかできてないだけ。
私が考える最低限の備えは次の3点。
・飲料水の備蓄
・避難場所、避難経路の確保
・情報、その入手手段の確保
ベア・グリルスにいわせれば
「食料がなくて生きていられるのは3週間まで、
水がないと3日まで、空気がないと3分 まで」
ということで、
空気は普段からアクアラング背負ってるわけにもいかないし、
食料は3週間もあればおよその流通が回復するか
そうでなければ救援物資が期待できる(はず)なので、
最低限、水の確保ですね。ここわりと生命線。
避難場所と避難経路は、
まずは家や職場の建物から外へ出るより安全な経路の把握と
外へ出てから逃げる先の避難場所とそこへの経路ですね。
で、国や自治体などが定める避難場所もあるけど、
そこは鵜呑みにせず自分の目で確認しておくことも重要。
陸前高田とか避難所が水没したみたいなケースもあったしね。
話半分で聞かないといけない行政ってのも残念な感じだけど。
そして、何気に一番重要なのは情報。
情報がないと、津波に向かって逃げるという悲劇も生まれる。
あと、インフラの被害状況や支援活動などの情報も、
被災後しばらく生活をしていく上でも必要でしょう。
ラジオというわりと旧来からの機器もあるけど、
最近なら多機能携帯端末が強力なツールになるはず。
つまり、スマートフォンやガラケーみたいなやつですね。
電話は回線が詰まってると使えないけど、
ガラケーや多機能スマホであればワンセグ機能もあったり、
3GかWi-Fiスポットがあればネットによる情報収集もできる。
その意味で、スマホとかはもう趣味のガジェットではなく、
防災ツールとして持っておく価値はあると思うんですよね。
ただ、それを活かすには、
様々な災害に強い通信網を整備しておく必要がある。
そしてこればっかりは個人では無理で、
こういうところは行政に頑張ってもらわないといかんと思う。
今日はどのテレビ局も東日本大震災の特集ばっかりですが
やっぱり元通りの復興はまだまだ道遠しって感じですね。
というか、復興作業のほとんどが民間主導というのが、
改めて行政のポンコツさが露呈してるなぁ…という感じで
ホントどうにかならないものかと。
※このエントリはあくまで個人的な意見であり感想です。

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