生命宇宙の世界(10)

みなさん、こんばんは。
だんだん怪しい世界になってまいりました。
もとより怪しい、という意見には「その通り」といっておきマス。
私は、生命宇宙の「生命」のことを、
ずっと「システム」だといってきました。
これは、生命というのは「モノ」ではなく、
生物に代表されるあの概念でもなく、
宇宙全体を包括しているそのようなもの全体、
ということを強調する意味でシステムといってきたんですが。
どうもこの考え方自体は、
業界(?)では結構当たり前な考え方のようです。
で、今ここでいわんとしていることは、
「生命」ではなく、「生命宇宙」であるのだよ、ということで。
つまり、「生命」と「宇宙」は不可分であると。
でも「生命宇宙」というと、やっぱり2つに分けて考えてしまうので、
ちょっと格好よくカタカナで「ライフスフィア」といっておきます。
つまり、
 宇宙全体はライフスフィアであり、
 その構成要素もまたライフスフィアである。
例えば、オートポイエーシスという考え方があります。
(“APS”と略しておきます。)
生命の構成要素同士の有機的なつながりを、
自己組織化するようなシステムの定義(?)だったと思いますが、
(正確な意味については保証しかねるけど)私の解釈を書けば、
生命というのは、自分で生まれて自分で自分を作り出す、
それ故に生命の構造はどこまでいっても同じ構造になっている、
という話だったと思います。
うへぇ。何のこっちゃ。
要は、生命というのはどこまで切り刻んでも生命なんだゾ、
(そういうメカニズムの金太郎飴のようになっている)
ということだろうと。
で、これを突き詰めて論ずるときにややこしいことがある。
それは、創造者と被創造者が同じである点で、
これがこの論説のキモでもある“円環的”構成の説明の難しさ、
ということになってきます。
とにかくここは、創られるものと、それを創るものは、
同じ要素であり、同じシステムである、と考えてくださいまし。
人間から生まれてくるのは人間だ、ということです。
(こう書き下しちゃうとアタリマエだ。。)
で、ライフスフィアもAPS的であり、
(とりあえずここでは、APSそのものとは断言しないでおく)
ライフスフィアから生まれるものもライフスフィアであり、
それはライフスフィアと同じ属性と構成である、と。
ここで、生む側と生みだされる側は区別しません。
(ここがややこしいところ。)
それをどうやって説明するか、です。



少し話を戻します。
前回、クラスとインスタンスの話が出てきたところで、
「何やらプログラムくさいことをいい始めたぞこの人」
と思われたと思いますが、その通り。
クラスとインスタンスという言葉は、
オブジェクト指向のJava言語などでプログラミングしている人には、
そこそこ馴染み深い言葉です。
プログラミング言語というのは、
そのアルゴリズムでコンピュータ内のあらゆる事象を制御しよう、
という言語体系です。
今のコンピュータが作り出すバーチャルリアリティというのは、
かなり現実に近いものの再現が可能なんですが、
それらを再現しているのはプログラムなわけです。
ならば、現実の世界、つまり、この宇宙全体をプログラムで書けたとき、
そのプログラムは宇宙を語り得た!
といえるんじゃないかと思うのですな。
そういえるには、
本当に(完全に)宇宙全体がつくられていなければなりませんが。
(つまり、私たちがいる地球に私やアナタも再現されている!)
まぁ、現状のプログラムというのは、
結局のところいくつかの条件といくつかの命令の羅列なわけで、
それでは完全な宇宙を書けないだろうということは予想できます。
そんなわけで、
目指すは、宇宙全体を記述可能なプログラミング言語!
(と、そのコンパイラか。)
まず、前回の流れから、
「生命宇宙」クラスというものを考えなければならないのでした。
上で「生命宇宙」は「ライフスフィア」と言い直しているので、
「ライフスフィア」で統一します。
(同じことですが。)
「ライフスフィア」クラスを“LS”としましょう。
世の中の森羅万象は、
全てこのLSを継承した派生クラスのインスタンスと考えます。
例えば、リンゴやミカンや桜やバラのクラスも、LSの派生クラス。
犬も猫もサルも人も、LSの派生クラス。
物質も素粒子も力(の原因)も自然現象全体も、LSの派生クラス。
さらに、地球も太陽系も銀河系も宇宙全体までみても、LSの派生クラス。
えー。全然似てないじゃないか?
そうですね。
少なくとも私たちの主観でみたそれらの事柄は、
似てない部分が多分にあります。
しかし、派生クラスというのは、
いくらでも属性(プロパティ)や機能(メソッド)を追加できるのであり、
それによって基本クラスの特徴をほとんど隠してしまうこともできます。
ただ、共通する部分が全くないわけではない。
そもそも、宇宙というのは、
“無”とよばれる量子ゆらぎから発生した1点だったとされるわけです。
(この場合、“無”もLSの派生クラスなので、そこは仮の起点。)
その洞察が正しいのであれば、どんなに多様に変化しようとも、
その変化を生んだシステムは基本クラスの性質によるものであり、
生まれた(派生した)システムもまた同じシステムになっているだろう、
と考えるのは決して不自然ではなく、妥当なことではないですか。
むしろ、元と全く違うものが出来上がることの方が、
随分奇妙なことのように思えます。
なので、あくまで自然に考えたときに、
どうして、どうやって今のような多様性が現出したのだろう、
と考えていく方が理に適っているといえます。
このときに問題になるのが、花や動物や星や宇宙といった事柄が、
基本クラスであるLSにない属性や機能が追加されているように見える、
というところです。
ないものがつくりだされる、というのは、
とても不自然なことに思える。
しかし、宇宙の創生というところに立ち返ってみたとき、
実はそこでも、一見何もないところから、
「宇宙」という(機能と属性を持つ)ものが生まれ出た、
という事実があります。
これこそが、LSという基本クラスの根本的な機能(メソッド)であり、
その機能によって、その機能を持つメンバが創出される、という、
まさに円環的なシステムが実現していると考えるのです。
さ、いよいよぶっ飛んでまいりました。

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