履修漏れ問題

学習指導要領で必修とされている科目のいくつかを、
実際には履修させていなかった学校が続出している問題。
その理由は総じて、
 「大学受験に必要な科目の教育を充実させたいから」
というもの。
つまり、受験に必要の無い科目に割く時間がもったいない、
そんな時間があるなら使う科目だけ勉強すればよろしいと。
ぶっちゃけ、それはすごく正直で合理的で正論で、
清々するくらいだと思ったですよ。
インタビューうけてる学生も学校のせいにばっかりしてるけど、
実はキミたちもそう思ってたでしょ。
受験に使わない科目なんか勉強する必要ないと。
ていうか、私は高校生のときは理系クラスを選択してたけど、
社会科は1科目選択だった気がする。
地理を勉強した記憶はあれど、歴史とか勉強した記憶が無い。
多分、その当時の高校の科目と今のとでは違うんでしょうね。
まずですね。
議論する内容がどこか違うと思ってるのは私だけですか。
学習指導要領で必修である科目を履修していないこと自体は、
報道されているほど問題ではない気がする。
むしろ、必要な知識だけを選択して教育していく方が、
先進的なんじゃないかともいわれなかったっけ?
(進路をコレと決めているときの話かもしれないけど。)
とりあえず、受験ありきの高校教育というのが、
これだけ常識化しているということの方が忌々しき問題だろうと。
高校というのは、大学進学のためだけのものじゃないはずで、
人間としてのいろいろな知識や体験を積む場というのが、
学校という場の本来の役割でしょう。
そういう意味では、科目は必要最低限におさえて、
他の様々なレクリエーションなり課外活動なりを充実させる、
というのも、ひとつの教育方法としてアリな気がするし。
とにかく、何か観点が違う気がして気持ちが悪い。
全科目をやってりゃそれでいいか、といえば、そうでもないと思う。
日本史は受験に必要ないけど、指導要領では必修だといわれている。
仕方ないね。じゃ、すごく簡単な授業と、形だけの試験は実施しておこう。
なんてのも変でしょう?
そんな時間がもったいないから、
いっそのこと実はやってないけどやったことにしちゃおう、
という学校が出てくるというのは、むべなるかな。
結局、受験に必要、不必要という考え方を何とかしようってことでしょう。
報道で伝えるべき点はそこでしょう。
今の子供(の教育)が微妙に破綻してきているのは、
薄々みんな気づいていると思うんだけど、
具体的にどこが問題なのか、どうすれば良いか、ということが分からない。
その理由も原因もよくわからないのに、
とりあえず対症療法であたっているから、むしろ悪化する部分も出てくる。
“ゆとり教育”なんて、その最たる例でしょう。
システムにバグがあるっぽいけど原因がわかんねーな。
とりあえず、メモリリークしてるなら、定期的に再起動すればいいっしょ?
…みたいな発想とでもいうか。
目先の問題を解決することよりも、
何故そのメモリリークが起こっているかを突き止めないといかんのですよ。
(なんて喩えでわかるか。)
解ってますか、先生方!

コメント

  1. dodo より:

    学校教育の最大の問題は、学校教育というものを公がやるように
    なった近代以降から、教育というものが、ただの為政者の持ち物に
    なってしまったということです。
    今起こっている教育の荒廃の原因は、政治が破綻していることが
    1つの側面としてはあります。
    どういう未来を作ろうとしているのかというビジョンがないし、
    しかもやってることは小泉政権を象徴としてめちゃくちゃだし。
    教育というもの自体が「人を見て法を説く」というものであるのに、
    制度を作っているお役人たちが現場を一切見ないし、現場から
    たたき上げることがないというのも変な話です。
    また、教育指導要領自体、教育というものをきちんと勉強してない
    お役人が教育学者の多くの反対を押し切って作っているもの
    だったりしますし。
    教育指導要領に学校側が逆らう動きが出てくるというのは、
    むしろいいことだと思う。学校そのものも市場経済にさらされているし
    市場原理の中で、くだらない学校は淘汰されてくれないと学校自体が
    犯罪の温床になってしまうわけだし。
    学校はあくまで「学力」ということに社会的な責任を負っているに
    過ぎないと思うし、それでいいのだと思う。
    人格教育というのは、あくまで家庭教育の持分であろうし、子ども自身が
    いろいろな人を見て、自分で学んでいくというのが本来の姿だと思う。
    (学校の教員自体が、そもそも社会に一度も出たことがない人であるし、
    しかも彼らにはリストラはなく、脅かされることがないのだから、
    危機感もないところで、まともな教育がなされると思ってしまう
    こと自体がナンセンスなことだと思うし)

  2. 月影 より:

    確かに、先生方は基本的にずっと学校にいるんですね。そういう意味では、厳密には社会に出たことが無い人たちといえるのか。(全部先生が教えるものでもないのでしょうけど。)とすると、学校(の先生)としてはやっぱり学力の養成所に徹するのが妥当といえるのかもしれませんね。
    どうも、お互いに人に仕事や責任を押し付けあう傾向が社会に蔓延していて、そういう態度が教育も破綻させている気がしますね。
    親は子供のことを、本来は家庭ですべきことまでぽいっと学校に任せる。学校は学校で、家庭ですべきことまで面倒みられないからという。そういう態度だから、何か問題が起こったとき、お互いに「相手のせいだ。基本的に自分側に落ち度は無い」と訴えるばかり。
    無情ですのう。。。

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