大五郎

何もかも名前がついていること。これに気づいて妙な驚きを感じたのはいつだったか。目にするもの全て名前がついている。電柱、看板、窓、建物、虫、空、空気… 足元に転がっている石やゴミにも名前はある。ゴミを構成する原子や素粒子にまで名前はある。形のない法則や原理にさえ、記号化され、数値化されたそれがある。それを指して何か言及できるということは、それに名前があるということである。
では、名前が無いものは?存在しないも同然である。人がその存在を認めた以上は名前が付けられる。人の知的活動の半分は、この名前を付ける、という作業ではないか。未知のものを見つけては、名前を割り当てる。それで人は、それを知った気になって満足する。
名前といえば、中学生の頃、体育の先生が、校庭の白線引きのことを「大五郎」と呼んでいた。「○○くん、大五郎持ってきてくれ」といわれて、何のこっちゃと思った。私の世代はそのネタをリアルタイムでは知らないわけだが。「子連れ狼」ね。しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん… 当時、私の中学校にあった白線引きは4輪がついた木の箱で、まさに大五郎をのせた乳母車のような形をしていた。誰がそれを最初に「大五郎」と呼んだが知らないけど、そう名付けた人は良いセンスだなと。
そういえば「猫車」というものがある。あれは、何故「猫車」というのだろう。猫には、似てない、よなぁ…

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