普通という幻想

人のことを指して“変わっている”いうことがあります。
“変人”とか“普通じゃない”とか…。
「あいつ、変わってるよね。」
「あの人は変人だから。」
「普通じゃないよね。」
そういう自分は“変わっていない”のか?
あなたは果たして“普通”なのか?
大体、普通の人、という表現は、
特に指摘すべき特徴がない場合に、
普通とみなして、何もいわないということでしょう。
でもね。
誰にでも人とは違う部分はあるはずです。
というか、
みんなそれぞれその人固有の何かがあるはず。
それは個性ですよね。
その個性が強いと、
“変わっている”となるのだと思うけど、
個性があることの方が、むしろ普通ではないか。
みんな同じだったら人形ですよ。
おそらく、世の中の人がやる事なす事、
その容姿、生活、思想などが平均された、
“普通の人”という幻想があるのだと思う。
そうでなければ普通ではない。
なぜか人はそこから外れることを恐れて、
なるべくその平均的な人であろうとする。
普通であろうとする…。
それって、凄く不自然なことだと思うんですよね。
個性がある方が自然だし、普通でしょう。
近年は、人の個性やいろんなスタイルなどが、
ある程度尊重されるようにもなってきているけど、
一定の集団の中でやっていく場合には、
その普通が求められる場面はまだまだある…。
そういう意味で、日本はやっぱり、
まだちょっと古い考え方の国なのかなぁ、と。
そもそも“普通の人”なんていないんですよ。
心の中に創り上げられた幻想です。
もしいたら、それこそ狐狸妖怪の類じゃないかな。

コメント

  1. みぃこ より:

    はじめまして(>_<)携帯から拝見してます。Googleモバイルで「哲学」を検索したらたどり着きました。実は私は女子高生ですが(!)哲学に興味持っちゃって色々携帯で哲学について調べてました。凄くココ面白いです!この記事についてですが、今日予備校でやった過去問の文章(国語)に「自分をふつうと感じ、その区分けしてる境界線を混乱させるような人=普通じゃない人というヒステリックに固執する」とありました。でも他者と区別しないと自分とは何かわからない、と書いてありました。私はその区別が個性なのかな?と思います。その点でも個性は素敵です。

  2. 月影 より:

    みぃこさん、こんにちは。
    また辺鄙なところに迷い込んでこられましたね。
    女子高生が「哲学」とはまたマニアックス(?)
    「普通」というのは、
    一般的という意味でも使われたりしますね。
    ここでは、本来個性があるはずのものに対して、
    普通ということはどうなの?
    という、一考察ってとこかなぁ。

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