知理

昔…というか、今もだろうけど、
モノゴトの本質的なものは“物”だというのが通念。
 物理 という言葉にそれは象徴されてますが。
最近になって、
物理学で扱うモノゴトは、“物”として系統化できるものとは、
ちょっと違う感じになってきている。
 20世紀に誕生した量子力学は、
 それまでのモノゴトの考え方を一変させた。
 本質が、“物”というより、“情報”にあるような、
 そんな力学。
 もはやそれが“力学”と呼べるのかどうかも疑問。
おそらく、物理学の最終目標のひとつとしては、
現在認知されている4つの力の統一もあるはずだけど、
力という存在そのものも情報化してしまう気がしている。
 モノが動く。
つまり、結局これを説明するのが力学であり、物理学。
 車が走るのも、星が光るのも、
 コンピュータが計算するのも、テレビがうつるのも、
 みーんな同じ理屈じゃないかという話。
 とどのつまり、何かモノが何かの力で動くから、
 そういう現象が起こっているのだと。
 これ、本当かな?
実は、モノは動いてないんじゃないか?
力なんて働いてないんじゃないか?
 動いている…と思っているのは、我々の知覚。
 本質が情報なら、情報そのものは、実は動かない。
 その位置情報が書き換わっているだけ。
認識されるものが道理であるなら、
そもそも、認識する主観そのものを、
もうちょっと考えてみても良いんじゃないか。
 …なんて考えているのもまた知覚であり主観であるわけだが。

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