心身問題

ずっと昔から説明されることなく常に哲学であり続けた分野が、
おそらく「心」の問題なのですね。
今回はこの「心」についてちょっと。
自然科学が台頭してきた近年においても、
科学の基本である物理学の対象は、あくまで物質。
モノとそこに発生する力、つまりエネルギーを扱う。
しかし、それを扱っている主観は実は人の認識であり、
それは意識であり思考であり、つまり「心」のはずなんです。
その心自体の言及がほとんどなされていない現状というのは、
微妙に矛盾している気がしませんかね。
確かに、心というのは定式化しにくく、
それは再現性がないということに所以していると思うんだけど、
実は、それをミクロレベルでみれば、
結局力学系で扱っている物質の反応であることには違いない。
心の座はおよそ脳にあると考えられていますが、
脳内のニューロンという神経細胞の群れの連携で、
私たちの「考える」という現象が発生しているわけですね。
なので、現在の力学が自然を語ることのできる真の言葉だとするなら、
当然「心」という現象も語ることができるはずなんですよ。
でも、それは今のところ叶っていない。そして今後も、
今の力学系で「心」を記述することは無理なんじゃないかと。
「心」を語ることのできる科学、
おそらくそれが次世代の自然科学になるんじゃないかと思う。
ただ、心身の「身」の方も、
まだまだ説明しきれてない部分が多いですね。
今このへんを扱っているのは分子生物学などになるんでしょうか。
心身は不可分という気もしますがね。
思うに、「心」というのは、
身体という入れ物に入っていないと存在できないものなのか、
身体の一特性として「心」というものがあるのか、
そのどちらかというのも肝という気がするんだけど、
今のところ後者の方が科学的ですよね。
「心」は、そのへんにフワフワ存在しているものではない。
量子力学の考え方を発展させると、
物質の居場所というのはかなり曖昧で、
私たちが見ている物理的な現象も波動関数の解のひとつに過ぎず、
実は他にも多くの実現可能性はあるわけですよね。
ファインマンの経歴総和という考え方なんですが。
そういう意味では、物質の存在も非常に頼りないもので、
私たちが自己と思っている身体の境界も曖昧になってくる。
もちろん、それに伴って「心」の境界も非常に曖昧。
これが私だ、と思う範囲を特定できない。
普通に考えれば、自分の意思で動く身体は自分のものだと認識する。
でも、体全体が自分の意思で動いているわけではないですよね。
自律的な運動もあるし、免疫系の働きなんて意思ではどうにもならない。
だからガンなども発生するわけで。
もともと、この宇宙の始まりはひとつの「火の玉」だった…。
だから、宇宙全体が一個、という捕らえ方をして、
そこで働く心や力やといった現象を記述できれば万々歳なのかなぁと。
そういうわけで、宇宙論をもっと考えようぜ!
思いつくままに書いたら、やっぱし結局ここにたどり着いた(笑)

コメント

  1. おも より:

    月影さん~あの娘の心をキャプチャできる解を教えて下さい♪

  2. 月影 より:

    そんなのあったら私も教えて欲しいです…(笑)

  3. きの より:

    初めまして、興味深いのでコメント。
    確かに、力学はニューロンの動作を決めますが『心身問題』を真剣に考えてる人は「それは解じゃない」と言うでしょうね。
    生理学者がいかに『神経回路の活動と認知や行動を対応付けてもダメだ』と言うでしょう。
    彼等は次のような質問を投げかけるから
    「あなたが言うことは分かった。赤いトマトを見たら私の網膜から外側膝状体を経て後頭葉の○○細胞群が活動して、そこから側頭葉と頭頂葉に信号が行き、最後に前頭葉の△△細胞群が活動した時に、私に赤が見えると言うことだな。しかし、どうして△△細胞群が活動したら私の主観上に赤が立ち上がるのかね?」
    ハードプロブレムはきつ過ぎる…。
    個人的にはある種2元的な考え方を認めざるを得ないと思ってます。

  4. 月影 より:

    コメントありがとうございます。(^^)
    感覚や思考というのは、仮にそれが立ち上がる仕組みは説明できても、その感覚自体、その思考自体を他の言葉でメタ的に説明できないんですよね。だから、力学(現在の数学や、それで記述できる理論)という道具では何となく役不足だろうなということ。
    どちらも同じ自然現象であるのに、一方しか理論的説明を受け付けない(ように見える)ということは、私たち自身が「心」を持つ存在だからかもしれない、と思うことがあります。つまり、心はそれを持つ人の手で作ることができないようになっているのかな…と。

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