このところまたニキビが出てきて、
最近は全然疲れてもないのに、
むしろ寝すぎで免疫できまくりで、
食生活もこのところマトモになっているので、
健康状態はそれなりに良いはずなのに、
これはやっぱり体質か、食べ物が悪いのか、
プロアクでも買ってみようか…なんて思案中の月影です。
こんばんは。
プロアクティブ、本当に効くんですか。ねぇ、真鍋さん?
ま、そんなことはおいといて。
仕事も無くヒマを持て余してくると、
喫茶店とかで本とか読みながら、
その本の内容とは関係ないようなことが、
いろいろと頭の中を駆け巡ります。
(一種の病気?)
最近の主題は「ハードプロブレム」。
コレです。
ええと、「ハードプロブレム」というのは、
まぁ、直訳で「難問」です。
だからって、相対論とか量子論とか、
複雑系とかナビア・ストークス方程式とか、
(そういう問題も確かに難しくはあるけど)
業界ではそういうのを指さないようで。
脳と心、意識、そのあたりの問題を、
「ハードプロブレム」なんていうみたいです。
科学的実証に至ってない問題全体は、
実際ハードプロブレムなんですけど、
心の科学的実証なんてのは、
その最たるものなわけですね。
「心がある」ことは、誰も疑わない事実。
現に今もその心の活動があるから、
こんな文章も書いたり(読んだり)しているわけで。
で、その「心」とは何か?
という話になると、これが難しい。
なぜ難しいかというと、
「心」という概念自体が、
もう既にあらゆることの前提となるもの、
説明しなくても、
もうそういうものとして受け入れられているもの、
だからでしょう。
そして、
その「心」はどうやって生まれるのか、
どういう仕組みで現れてくるのか、
という問題も、
その「心」がよくわかっていないから、
どうも曖昧であると。
ほら、ハードプロブレム。
この手の問題は、
「時間とは何か」などと考えるのと一緒で、
何かを説明するために使われる用語を、
さらに何か別の言い回しで
説明しようとするときの苦悩になるんですよね。
私はこれを
「ハジキの永久ループ」
なんて呼んでます。
また怪しい言葉つくりやがって…。
はい。説明します。
小学校の算数で、
速さと時間と距離の関係を習いますよね。
「距離 = 速さ × 時間」
「速さ = 距離 ÷ 時間」
「時間 = 距離 ÷ 速さ」
そう、コレです。
これを、マルの中にT字を書いて、
Tの上に「距離(道のり)」と書いて、
(距離は「道のり」だから上に“のる”!)
Tの下2つに「時間」と「距離」と書いた
絵で暗記したりしませんでしたか。
(私だけ?)
「ハ(速さ)」、「ジ(時間)」、「キ(距離)」です。
マルにT字のその絵が、
丁度リボルバー式拳銃に似ているので、
「ハジキ」と覚えていました。
つまり、
距離とは何か?それは、速さと時間をかけた(乗算)ものだよ。
速さとは何か?それは、距離を時間で割った(除算)ものだよ。
時間とは何か?それは、距離を速さで割った(除算)ものだよ。
になるのですね。
それを説明する言葉が、
逆にそれを説明される言葉にもなっている。
国語辞典で、どんどんひいていくと、
結局、また同じ言葉(前に説明されていた言葉)で
説明されてしまうような感じです。
何かを別の言葉で説明する、
その言葉を「メタ言語」といいます。
IT業界に染まっているとXMLを思い出すけど、
あれもそのまま別の説明を加えているので、
同じ意味として捉えても良いかな…。
メタ言語にもメタ言語をつけようとして、
それを延々やっていくと、
いずれは元に戻ってくる…、
或いは行き詰ります。
「心」は、どちらかというとメタ言語だと思うのです。
心とは何か?
それは人間や動物が持っている、
(もしかしたら植物も、非生物でも?)
情動、感情、感覚などなど…。
それって、「心」って言葉より難しい言葉になってないかと。
脳科学とか神経解剖学とか、そのあたりでは、
その「心」の動きはどういう原理で発動しているのか?
という研究が展開しているようですけど、
「心」そのものを説明しようというわけではないんですよね。
(多分)
「心」とは何か?という問題と、
「心が現れる原理はどういうものか?」という問題は、
ごっちゃにしちゃいかんよねぇ、
なんて思ったりするわけで。
ま、今の私は、
アゴあたりにできたニキビ野郎をどうしてやろうか、
というのが、当面のプロブレムなわけですが。
これ、結構慢性化してるので、
何気にハードプロブレムかもしれん…。
さて、今日は独立後初の仕事の打ち合わせです。
これもハードにならんことを祈りつつ。