[近況/日記] ノスタルジー

暦の上では9月半ばを過ぎたか。ずっと暑かった気温も低くなり、確かに秋の訪れを実感する。こうして秋を感じると、毎年決まって何だか“懐かしい”ような“寂しい”ような気持ちになる。こういうのをノスタルジーというんだったか。一体なぜこんな気持になるのか。その理由をむーんと考えるのだけど、いつもコレといった答えは出てこない。

特定の何かが懐かしいというわけではないし、特段寂しい出来事があったわけでもない。この季節独特の匂いというか感覚によって、一種のエピソード記憶のようなものが呼び起こされるのか。1年の中で夏が最も盛りの季節だとすると、春はこれから始まる感があるが、秋は終わりに向かう感がある。動物や植物は冬は活動しなくなる季節なので、人間も本能的にそういう感覚になるのかもしれない。とにかく不思議。

「自分が無知であるという事実以外は何も知らない」

これは、哲学者ソクラテスの言葉である。とはいえ、生きていくのに必要な最低限の知識くらいは知っている。生きていくには食事しないといけないということを知ってるし、食事をするには食料を調達しなければならないし、それをするにはお金を稼がなければならない、その程度のことは当然知っている。もうちょっと発展して、本で読んだりテレビでみたりしたことは、そういう知識として知っている。詳しく知ろうと思えば勉強してその知識量を増やすこともできる。

ただ、何かを究極まで問い詰めたとき、最終的に人は知らないというところに行き着く。幸福とは何か。衣食住が足りていることだ。では衣食住を満たすにはどうしたら良いのか。お金を稼げば良い。ではお金を稼ぐにはどうしたら良いのか。労働をすれば良い。では労働で十分なお金が稼げなかったらどうすれば良いのか。もっと労働すれば良い。それは本当に幸福といえるのか。衣食住が足りても何もできなくなるのではないか‥‥といった感じで、こんな問答をどんどん続けていくと、最終的に、そんなもんわからん、知らん、ということになる。

ソクラテスはそれをもって、人は「何も知らない」としている。突き詰めた先の物事の根本を知らないのだから、知らないことの上に折り重なっている知識というのはまやかしでしかないと、そういうことなのかもしれない。

確かに、人間の知識は結構いい加減だったりもする。銅線に電流(電子)を流せば磁場が生まれ、電磁気力が発生し、それを利用することで電気モーターを回転させることができ、それによって洗濯機が回ったり、電車が走ったりする。そうなのだけど、じゃあ何で電子が流れたところに磁場が発生するのか。それはそういうもんだ以上の答えはない。こういう物理はまだ冪等性があるから良い方で、医学や薬学方面になると、なぜその薬が病気に効くのかよくわかってないのだけど、とにかく多くの人に良く効くから使ってる、効かないこともあるがそのときは残念でした、みたいな薬が結構ある。もっというなら、何でオスとメスがアレをやったら子供ができるのか、その仕組みとか原理なんて誰も知らない。知らないけど子供はつくれるのだ。

人間、生きていくだけならそれでいいのだと思う。それ以上に何かを知る必要はないだろうし、たとえ全知になれたとしても、それで幸せになれるとは限らない。学問は知り尽くせないから面白い、という考え方もある。面白い本は読み終わりたくないし、面白いゲームはいつまでもやっていたいものだ。

秋のノスタルジーも、別に何でそんな気持ちになるんだろうなんて野暮なことは考える必要はなくて、「ああ、秋だなぁ」とだけ思っておけば良いのだわ。

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