会社を出たら、外の涼しさに少々の新鮮さを感じた。それと同時に、秋の訪れにある懐かしさを覚えた。秋に何か思い出でもあったのか。具体的にその事象は思い出せないが、無意識に感覚の中で秋の記憶が呼び覚まされた、そんな感じだった。
「自分が無知であるという事実以外は何も知らない」
これは、哲学者ソクラテスの言葉である。多分、知的には、私たちは本当に何も知らないのだろう。生きていることすら、それが何事であるか知る者はいまい。実際、私たちに切実なのは、知識ではなく事実の方である。知識を事実に変える、或いは事実を知識に変える。その相補性があって、私たちの知識は成立する。ただ、その知識が、私たち人間の物理的感覚で知ることができるものに限られる。そういう制限内にある以上は、本当の真実には迫れない。
でも、それでいいのだと思う。
人間は、人間の感覚で知ることのできるもの以外を知る必要はないだろうし、たとえそれを知ったとしても、多分、幸せにはなれないだろう。
秋の懐かしい感覚。
それは、そういうものとして認識していれば良い。それに理屈がなくとも、理由などなくとも、そういう事実があるというだけで、何らの不自由はない。