昨日、帰宅してテレビをつけたらスポーツニュースをやっていて、
広島だかどっかの選手が、セカンドに滑り込むシーンを映し出した。
ダブルプレーの瞬間を伝えるものだったようだが、
そういう文脈なしにいきなりあのシーンを見せられたので、
何か妙におかしかった。
その選手、セカンドベースに滑り込む、というよりは、
セカンドのベースカバーに入った選手めがけて滑り込んでいた。
自分は死んでもファーストは生かそうとしたのだろうけど、
その意図が見え見えで、思い切り股を広げて、その足を天に向けて、
ベースとは別方向へ(二塁手が送球しようと構えている方向へ)
背中で滑っていった。
テレビつけたら、いきなりその絵。笑うだろうこれ。
同じシーンを、最初から文脈をたどりながら見ていたら、
やはり同じ感覚になっただろうか?
いや、いきなりあのシーンだったから、今の私の頭の中には、
それ独特の感覚として残っているのだろう、そう思う。
そういえば、普段、そのようなことがないな。
大体体験は連続しているから、どんな出来事も、
その流れの中の一つとして通り過ぎている。
一個の独立したもの、とは見ないで、連続した流れの一部、
という感じだ。
んー、そうすると、あの滑り込みは、まさにデジタルな体験(笑)
今日は、少し「未知への予感」の追加、修正をした。
次は何を打ち込もうかと、「人体」のCDを聴きながら考える…