その前に、
「棚からぼた餅という言葉は僕のためにあるような言葉」
「料亭行った事ないですよ!行きたいですよ!料亭!」
「新幹線も飛行機もグリーンですよ!?
当選したおかげで移動は全部グリーン!これが全部ただですよ!?ただ!!!」
「ひゃくまんえんもらえるんですよ!?年間かと思ったら毎月ひゃくまんですよ!!」
「議員宿舎っていうのがあるらしくて3LDKですよ。」
「これで念願のBMWが買える。・・・と思ったら運転するなですよ。
ディーラーに予約までしたのに・・・おれのBMが・・・」
(「杉村太蔵マニア」より抜粋)
本気でムダづかいをなくしたいというのなら、
当然、まず議員報酬と議員優遇からカットだよねッ!
選挙のことばっかりで書いてなかったけど、
先週の金曜日にゴーギャン展に行ってきました。
平日なので空いてるかなーと予想したんだけど、
意外にそこそこ混んでた。
混んでたといっても、順番を待てば
作品の正面に立ってしばらく眺めることはできたので、
多分、土日祝日に行くよりはマシだったはず。
いつかのエルミタージュ展へは
土曜だか日曜だかとにかく休日に行ったと思うんだけど、
あれは絵というか人を見に行ったようなものでした。
で、ゴーギャンですが。
彼は、19世紀のフランスの田舎に生まれ、
すったもんだがあった後フランスでの暮らしに見切りをつけ
南国タヒチに逃避行した、といわれている画家ですな。
端折りすぎか。
まぁ、ここで彼の生い立ちを語るつもりはないので。
とりあえず、その彼の絵を見てきました。
彼の絵を繊細だとかいう批評家もいるようですが、
繊細というか、彼の心の中の映像をそのまま絵にした感じ、
というのがストレートな表現という気がする。
その心が繊細だといえば、そうかもしれないけどね。
あくまで私の個人的な見方になるけど、
彼の絵は、その構図はあまり考えられてなくて、
とにかく目に映った対象を、彼の心のフィルタを通して
そのままキャンバスに打ち付けたというような印象。
というのも、人物とか動物とか木とか岩とか
おそらくメインの描画対象がその枠内におさまってなくて、
はみだしてる、見切れてるような絵が結構ある。
それは背景とかじゃなくね。
でも、それはそういうものに無神経というわけじゃなく、
あえてそうしてる、というか、全体を描画するよりも
もっと重要なもの、訴えたいものがその絵の内にある
ってことなのかな?
つまり、必ずしも全体を描くことにこだわってなくて、
あえて切ることで、むしろ何かを強調してるのか。
で、彼の代表作である長いタイトル
『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』
の実物を初めてみたわけですが、名前も長いし絵も長い。
(シロウトの感想だな。。)
でね、やっぱり見切れてる。
解説によれば、右から、人の誕生(赤ちゃん)、
木の実を取るエヴァ(?)を挟んで、左側は死に向かう様(老婆)
が描かれており、これは人の一生、栄枯盛衰を表現したものなのだ
とのこと。
その人間はちゃんと全体が描かれてるみたいだけど、
絵の右の犬と左の鳥が、折角描いてるのに切れてる。
切れるくらいなら最初から描かなきゃいいし、
描きたいなら、ちゃんと画面に全体を入れてやればいいのに、
絵のプロであるゴーギャンがこんな描き方をしてるのは
そこに何か意図があるのか、やっぱり特に意味は無いのか。
どうも、おさまりが悪い感じなんですよね。
実際、どうでも良いことかもしれないんだけど
彼の絵を見てると、そこに突っ込みたくなった。
ちなみに、このゴーギャン展は
東京国立近代美術館で今月23日までやってるようです。
本来はボストンまで行かないと見られない絵が
東京で見られるので、興味あれば行ってみると良いでしょう。
(別に、美術館の回し者じゃないですが)
全然関係ないですが、
その帰りに噂のアレも見て帰りました。
ここ、晴れてる日に行くと砂ボコリがひどい。
目が痛かった。。