もうふたご座流星群の時期っすか。
ところで、裁判員制度というのが始まりますね。
実施は来年の5月から。
で、来年の裁判員候補に選ばれた人には
その通知が送られているようで、
私の周りにも1人その白羽の矢が立った人がいました。
この裁判員制度の対象となる事件というのは
万引きとか泥棒とかそんな軽め(?)事件ではなく、
人の生死に関わる致死傷罪にあたる事件とのこと。
できることなら関わりたくない話ですが。
ところで、私は
「死刑」という刑はあるべきだ、という意見です。
これは前にも書いたことありますね。
ただ、いざ自分がその判決に関わる立場にある場合、
その被告が明らかに魑魅か化け物みたいな奴でない限り
九分九厘「死刑」という結論は出さないと思います。
じゃ、死刑肯定はウソか?
そうではなく、死刑という極刑があることで、
人が重大犯罪を犯す危険を抑えることができるだろう
という歯止め効果はあるだろうってこと。
どんなに残虐な殺人を犯しても、自分が死ぬことはない。
死刑が撤廃されてそういう確信ができてしまうと、
大きな犯罪が増長されかねないような気がするのよね。
某宗教団体のアレとか、某幼児連続殺人のアレとか、
誰がどう見ても許されない、死刑に値する犯罪
というのは、全員一致で死刑となるでしょう。
ただ、人によって意見が分かれるような事件というのは、
どれも「死刑」とするのは微妙。
お金がなくて生きるためにやむを得ず強盗殺人とか、
騙され陥れられて行き場がなくなった末に殺人とか、
そういう事情のある人が被告だった場合はどうなのか。
結果として人が死んでるし、遺族の心情も考えれば
加害者である被告は極刑、という結論は理解できるけど
あまりに安直でもある。
なので、普通に人の心のある人が裁判員になった場合、
多くの人は「死刑」とはしないんじゃないかしら。
なので、これまでの裁判官のみによる判断よりも
甘めの判決が出やすくなりそうな予感がしてるんですが、
そこらへんどうなんでしょうかね。
死刑を言い渡す、ってことは、相手が犯罪者とはいえ
人の命を奪うってことですからね。
それって裁判が終わっても結構後を引くような気もするし。
本当に正しい判断だったのか。死刑は重すぎたかも。
ひょっとしたら冤罪だったんじゃないか。。とか。
ということを考えても、
「死刑!」なんていっちゃえる人、そうはいない気がする。
ガキデカじゃないんだし?
で、このことが一般化し始めると、
情状酌量を打算した犯罪が増えるんじゃないかなぁ
という予感がするのよね。
まぁ、全く逆の予想もあるんですが。。
(危険分子排除という合理化の意見が通る場合)
ちなみに、欧米では陪審員に指名されても
ガン無視する人が多いらしいですね。。