自然のゲシュタルト崩壊

頻繁に思いついては消えていく思考の中に、
「結局それは何の為なんだろうか」
というメタファーがあります。
存在とか、現象とか、それに対する反応とか。
あらゆる活動がこの自然界にはあるのだけど、
その全ては、最終的に何を目指しているのかという疑問。
…と同時に現実世界に対する不安。
人間は社会的な生き物で、
その集団の中で、ひとつの、あるいは複数の目的を想定して、
それを達成すべくひとりひとりが動いています。
学校は、子供たちを一人前の社会人に仕立てる為の場。
会社は、社会に何らかの貢献をして対価となる利益を得る為の場。
役所は、それらを監督する場。
と同時に、それぞれはお金を稼ぐ手段を得る為の場でもあります。
人は金銭で物品を交換する方法を採用して以来、
この金銭を得ることが生きる上での重要課題となっていますね。
お金がないと、実際社会ではやっていけません。
でも、そもそもそれは生きる第一目標ではなかったはずで、
もっと別なところに、
人が存在する意味や目的はあったように思うわけです。
それはあらゆる疑問のひとつなのですが…。
押し並べて、それは何故なのかという話。
目的というか、理由というか、意味というか、
そういうものがあるのかどうかということです。
風が吹くのは何故か、重力があるのは何故か、
地球が丸いのは何故か、月が回ってるのは何故か、
何故地球はあるのか、何故宇宙はあるのか、
そもそも、何故存在するのか…。
その原理を解き明かして説明するのは自然科学です。
その理由や意味なんてものを考えるのは、
分野を決めるとするなら、多分哲学や宗教のあたりになるか、
或いは単なる気違いの妄想ということになるでしょう。
人の価値観や思考で理由を問うこと自体、
実は無理なのかなと思いますけどね。
かなり強い人間原理的な考え方をするなら、
人の頭でも考えられるような内容ではないかなとも思ったり。
人間の場合、物質的なものよりも、
実は感情的なものを欲求する生き物であったりしますね。
つまり、喜びや楽しみを求めて生きている。
物質的な潤いというのは、それを達成する手段のひとつ。
でも、どうすれば、
本当に自分の心を満足させられるかということを知らない。
人間は行動を約束することはできても、感情は約束できない。
…といったのはニーチェでしたか。
自分の心がある理由すらよくわかっていないわけで。
こういうことを次々と考え出すと、
何をする気も失せてしまうので(何もかも無意味に思えてくるので)、
あまり考えないようにはしてるんですけどね。
(こういう文章でも自分の中では云い得ていないし)
とりあえず、記す。みたいな。

コメント

  1. 匿名 より:

    感情は約束できない、深いですね。
    あらためて読み返させていただきましたが、
    以前、かなり以前ですが、自分と宇宙はつながってンんじゃないかなというのを表したくて、
    水玉(草間弥生さん、好きですが、あーゆー水田まではないです)を必ず、作品の仕上げに入れてました。
    あっ、話が、すっかり脱線しちゃいました、すみません。
    月影さんの日記を読んでて、ふと、そんな事を思い出しました。

  2. 私も感情をコントロールできているつもいだったけど
    やはり感情は約束されません。いままで死が怖かったのにそうではなくなり、
    無感覚なった自分が時々
    怖いです。ブログの記事すべて目をとおされたかは
    わかりませんが、『寄生獣』の中のシンイチみたいに
    少し無感覚状態になるのはやはり怖いです。ブログに
    書いたことは実際に起こったことではありますが、
    それ以来1人でいることのほうが楽しくなってしまい、
    世界まとめたい使命感は感じるものの、すきなだけ殺しあえばいい。
    (私は多くの著名人・研究所に連絡しおましたがほとんど無視されましたし。常識をこえていますから、、、。)
    私には関係ないという感情もあります。基本的には楽観的境地
    にきたけど、やはり感情あっての人間なんですね。

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