格好良くなりたい、とは誰もが思う。さて、格好いい、とは一体どういうことなのか?男なら、背は高く顔もキムタクばり、頭も良ければいうことなしか。女なら、脚はスラリと長く肌もすべすべ、料理なども万能であれば憧れの的。そんなものも、最近の科学テクノロジーをもってすれば不可能ではなくなっている。
遺伝子工学が世間で取りざたされ始めたのは、試験管ベビーの技術が確立され始めたころだったか、以来、人間は、古来からの神に似せられた高等種としての立場の影は限りなく薄くなってきている。天からの授かり物だったはずの命は、今では人の手で選択的に「造る」ことができるのだ。そして、その性別や形態までも、遺伝子操作によって操作できる日も、そう遠い未来ではないという。魚も天然物と養殖物があるように、将来、人間も、天然物と人工物が現れるだろ
うことは必須だ。そうなれば、みんながみんな「格好いい」人間になっていくのかもしれない‥‥。
ここで考えるべきなのは、人の持つべき価値観だ。「格好いい」のだから、それに越したことはないと考えるのか、自然のままが一番いいと考えるのか。これらは、どちらが正しいとはいえないことで、人によって捉え方も様々だ。私のように土に触れて育った人間は、やはり自然に生きた方がいい、と考えてしまうが、それが可能で、やったら好転することが見込まれるのならやった方がいい、と考えることも、至極当然の話だろう。
こうした傾向は、遺伝子工学などの分野に限らない。人の価値観そのものが、ここ数年で激変しているように感じている。タバコを吸うのは格好いい?金髪は格好いい?車でスピード出すのは格好いい?鼻にピアスするのは格好いい?何が良くて何が悪いのか、そんなことさえ理解しづらい社会。未成年の若者がこの社会の判断に戸惑うのも無理はない。まさにその人の価値観次第で、犯罪さえも良いものと考えてしまうような傾向は確かにある。
少なくとも、あくまで自然、素朴、飾らないのが一番楽ではないか‥‥。