ウサビッチが面白い。
頑張るのは損だとは前々から言ってきたけど、
それがわかっていながら頑張ってしまう性格というのもあって、
それ自体が損な星の下にあるのだなぁと感じることつくづく。
そうだ、あのことを書こう。
世の中に確かなものなどない、ということは、
ことあるごとに科学哲学の話の中でいわれていることだけど、
確かなものがないがゆえに、
自分の信じる何かを持っていなければ生きていけない、
という裏返しもあるということ。
そのようなものの典型は宗教だと思うんだけど、
しばしばその信じる絶対的存在のすれ違いと衝突で、
人同士が争うことになる。
そのような所業は我々の信じる神は許さないはずだ。
神の名の下にヤツらに制裁を加えなければならない。
そんな大義名分を掲げて蜂起されたら、
その矛先をあてられた方も、
これは我々の神に対する挑戦であるといい、
そっちもそっちで自分の正義を立てて対抗すると。
そんなことがもう何百年も人類の歴史の中で
ずっと繰り返されているわけですが。
それが不毛だということは、
多分その時代の人類もわかっていたんじゃないか。
というか、今も実はみんなわかってるじゃないか。
わかっていながら、あえてやってる。
だから、人が戦争をいつまでもやめないのは、
人間が学習しないバカだからとか、空気嫁とか、
そういう問題じゃない気がするのよね。
つまり、信じている絶対神が許さない、
という架空の感情が、集団的な動機を発露させて、
ついには最終的な形に転じていく、という
いわば法則のようなものがある。
結局その原点は、人が何かを信じる、
というところに帰り着くんじゃないかという思いがしていて、
人は何かを信じなければ生きていけないのだけど、
その信じるものが動く(ように感じる)からには、
それに従わなければならないように錯覚してしまうんだろう、と。
例えばその人が心から尊敬する誰かさんが、
「キミが彼に怒りを感じるのは当然で正しいことだ」と宣言すれば、
たちまちそう思い込んでしまうだろうということ。
誰にでも何か心の拠り所は必要。
それゆえに、人間(の心)はそれに関して、
かなり融通が利かない部分があるのだ、ということですな。
おそらく、ふむナルホドねとその理屈が解せたからといって、
それでもやっぱりそこは譲れないでしょ。
オレサマの×××を侮辱しやがったなコノヤロウ!
アタシの大切な○○○サマをバカにするなんて許せないッ!
だから戦争も終わらない。
AC6も終わらない。
HARDのアニ機の動き、あれはあり得んですよ。。