世界が理解可能だという事実は、ひとつの奇跡だ。
アルバート・アインシュタイン
私たちがモノを見たり音を聞いたり、何かを触ったりして、
それを感じ、認識し、理解するという、ごく日常的なこと。
実はこれ自体、大きな謎でもあると思うのです。
つまり、私たちはなぜそれらを理解できるのか?
世界が今こうある。現実に自分がここに存在している。
実はこのような状態をとることができるのは、
この世に「時間」というものがあるからだという言及があります。
ここで、時間というのは、
全ての出来事が一度に起こってしまわない為に必要なもの、
というご都合的な概念になるわけですが、
宇宙論を語る科学者がよく提起する問題として、
宇宙が永遠に続いているものだとしたら、
なぜ全て終わってしまっていないのか、という話があります。
これは、宇宙が有限の出発点から開始して、
時系列で変化して今の状態にある、ということです。
そして今も宇宙の変化の過程にあるわけです。
その宇宙の中で、人という存在があり、私という存在があり、
その存在はその宇宙自身のことを問うている。
こう考えると、人というのは、
そういうことを考える為に存在しているんじゃないかと思えてきます。
人というのは、他の動物と違って、
生物として生きるということに直接関係のないこと、
生命活動という観点で見れば「無駄なこと」ができる唯一の生物種。
中でも、物事を考えられる、という能力は殊に特徴的です。
人が物事を理解できるようになった、ということ。
逆に言えば、
宇宙に物事を考えられるような人という生物が存在するということ。
これ自体、宇宙で最大の謎ではないですか。
ここに「神」を感じる人がいるのも納得できる話です。