そんなもん死刑でしょう。あのオウムのヒゲのおっさんのことね。
改めて彼らのやったことをみると、誰でも考えつきそうなことだけど、それはどう考えてもやっちゃダメだろうというようなことばかりなんですよね。どんな育ち方をしたらあんなことやらかそうと思うようになるんだろうか、と。本当に理性がないのか。悪いことだと知りながらやった確信犯なのか。正しいことだと本気で信じてやっているのか。いずれろ、ああいう人間が存在し得るという事実が恐ろしい。
死刑自体に対する賛否はありますが、こういう犯罪を抑止するためには必要だと思いますよ。まあ、オウム事件に関しては抑止できなかったわけだけど。それはきっと彼らが、自分らの犯罪がバレない、捕まらないと思ってたからでしょう。そういう意味では、死刑の犯罪抑止効果を高めるためには、犯罪の検挙率、悪いことをしたら絶対捕まるという状況をつくることも大事だね。警察の皆さんよろしくお願いします。とにかく、何やっても死にはしないよとなれば、凶悪犯罪は確実に増えると思う。
国家権力で人の命を奪って良いのか、国家の独裁を助長するなんて指摘もあるのだけど、国家の治安を維持するためには権力による国民の制御も必要なんですよ。ただ、その権力がどうあるべきかは法律で決まっている。権力だって好き勝手に国民を抑圧して良いわけじゃない。そして、その法律は国会で決まる。民主主義においては、国会議員は国民が選ぶわけで、それがちゃんと上手くいってるかどうかはさておき、制度上は権力が暴走できない仕組みになっているわけですよね。
ところで、日本の死刑って絞首刑なんですよね。米国だと電気椅子らしい。銃殺や毒薬、毒ガスという国もある。死刑の方法は国によっていろいろバリエーションがあるみたいだけど。死に際一番苦しいのはどれなんだろう、というのはちょっと考えたりする。銃殺が一番苦しまず死ねる気がするけど、撃たれる部位にもよるか。逆に一番苦しいのは毒でしょうね。死刑に人道的も何もないと思うけど、なるべき苦しまず逝かせてあげるのが人の道という気もするし、被害者の気持ちを考えると犯罪者なんだから苦しみながら死んで欲しいという考え方もある。そのへん、絞首刑というのはどうなんでしょうね。
或いは、犯罪者を苦しませるというのは、死に際の苦しさよりも、近い将来確実に命を奪われるという状況下に置かれる、迫りくる死の恐怖をじっくり味合わせるという方が大きいかもしれない。死刑囚も人間なので、看守が自分の独房に歩いてくる足音を聞くたびに怯えるでしょう。そういう日々を過ごさせるということ自体が刑なのかもしれない。
ただ思うのは、死ぬことを恐れないような人もいるのよね。いや、実際死ぬのは嫌なんだろうけど、死ぬよりも嫌なことがある人がいる。世の中には死んだ方がマシと自殺する人も少なくない。あと、どうせ死ぬならいろいろぶっ壊して死んだれって思う人もいるかもしれない。失うものは何もないみたいな。そう考えると、死刑は必ずしも極刑ではないかもしれない。
何か、その人にとって最大の屈辱を与える、みたいな刑罰を考えても良いかもしれないなと。