等価交換

ボーナスとやらが出た。すっかり忘れてた。ボーナスも忘れるくらいの地獄に今いるわけで。
というか、安っすい!給料に毛が生えた程度。
納得いかんのは、賞与というのは、その期の評価の結果だということ。こんなに人を働かせておいて、ほとんど最低の評価。しかも、休日出勤してもサービス。深夜残業してもサービス。サービスってのは、無料奉仕ってことですよ。つまり、朝9時にきて、夕方5時半に帰っていることになっているのです。この基準でボーナスも評価されてる。アホかと。
これじゃ車を買うなんて夢の先の夢のまた向こうの夢ですな。もう6年くらい乗ってるけど、もう少し付き合ってもらいますよ。我が愛車インテくん。
低いところから高いところも見えないけど、いつも高いところにいると、低いところの視点も忘れられる。
見えるはずなんだけど、そのうち見ようとしても見えなくなる。フィルターがかかるのよね。子供に見えて大人に見えない、というのは、大人フィルターがかかってるから。大人になる、ということは、可能性を少しずつ削っていくということで、その過程での選択の連続で、今の自分という在り方が成り立っているのね。
何かを手に入れようとしたら、それと等価な何かを代償に支払わなければならない。ハガレンじゃないけど、これは確かに真理ですよね。だから、今受けてるこの仕打と等価の報いがいつかくるんですよ。……報われるだろうか。
まあいいです。仕事があって、生活できる収入がある。それは十分幸せなことなのです。……なんて仏様みたいなこといえたら良いんですけどね。

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