ゲシュタルト崩壊

漢字でもひらがなでもいいが、とにかく同じ1文字を、じ~っとみつめ続ける。すると、あれぇ、これはこんな字だったか?と思えてくる。さっと見る分には馴染みの文字なのだが、よくよくみると、これは何でこんな形をしているのかと、だんだん不思議な感じになってくる。
小学校の漢字のテストのとき、空白1マスに漢字を埋めていくものがあったが、あれは、じっくり考えすぎると、へんてこな文字を当てはめてしまうことがあった。正解の文字が、じっくり見ると、何だかこうじゃないような気がしてくるからだ。
これは、実は文字だけじゃなく、世の中にある大抵のものがそうであることに気づく。普段視界を過ぎ去っていく何気ないものも、よくみると、何でこうなのか、というようなものが。
ものだけじゃない。人もそうである。
いつも付き合っている馴れた知人でも、よくみると、こんな人だったか、と思えることがある。その人は別に普段と違うことをしているわけでなく、いつも通りの振る舞いであっても、こんなだったか、と思えてくるのである。実はこの人、昨日とは別人なんじゃないか。いや、昨日と別人なのは自分の方かもしれない。昨日の自分と今日の自分が同じ人間であるとどうしていえるのだろうか。昨日の記憶があるからか。その記憶すら外から与えられたものかもしれない。
大体、私自身がこうしてこんなことを考えていられるのも、実は変な話である。そんな必要性も必然性もないし、なぜそう考えるのか、なぜそう考える動機が生まれたのか、そのへんの思考のメカニズムもさっぱりわからない。ただただ”そう”なのだ。
あまりにいろいろなものが変だと思えて、むしろ変なことは変じゃないと思えてきたりする。何いってんのかな。

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