説明不可能

それを云おうとしなければ、私はそれを知っている。
それを云おうとしたら、私はそれを知らない。

究極的に遍くそういうことじゃないか。人間にとっての万物というのがね。上の文章は、かつて聖アウヴチヌスが「時間」について語ったもの。時間以外の万物理論というのは、大抵こういえるんじゃないのか。それを説明しようとしなければ、それらは既に解決済みのことばかり。説明しようとするからそれが問題になる。科学の葛藤がここにある。
人の活動というのは、およそその情報の処理である。何かを「情報化」して、それを理解して、それを利用する。この終始で人という存在があるともいえる。ただ食って寝て生きるだけなら、アリでもオケラでもやっている。
バクが夢を食って生きているなら、ヒトは情報を食っていきているんじゃないか。ああ、夢でもいいな。所詮、情報というのも無形で、そう理解した人の心(脳)に具象化してそこで初めて意味を持つものだし。
ときどき、自分は何のためにいるんだろう、と思うことがある。そして、そこに自分(という意識)が自分として存在している、そのこと自体がとても不思議に思えることがある。さらに、それに何の必然性もないように思えることに、漠然とした、しかし大きな不安を覚えることがある。別に、私がいなくたって世界は回るじゃないか。なのに、ここに私がいるのは何故だろうか…
みずほの悪魔合体は、IBMと富士通と日立だったらしい。

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