[雑記] 生きる意味

通勤電車を降り、改札を抜け、いつもの路地を曲がり、いつもの会社へ行く。この生活が変わらず続く。さてさて、自分はそれで一体何をしたいのか、などと思ってみたりする。自分がそうして会社へ行って、いつもの仕事をこなすことにどれだけの意味があるのか?

会社へ行けば、自分を必要とする人たちがいる。仕事の内容によっては、自分一人欠けても大きな損害となる。そこで自分という存在は、大いに意味のある存在となる。仕事はあるし、それをすることで、日々の生活費を稼ぐことに繋がる。というか、むしろ生活費を稼ぐために仕事をしているという分の方が大きい。自分を必要とする仕事場というのは、その手段の一つでしかない、とも考えられる。

自分の存在する意味。生きる意味。そんなものは、結局、自分の中で自分の現在の位置をランク付けするというもので、万人にその意味が通じるものではない。意味など、そもそも人それぞれの価値観によって変わってくるもので、他人にどう評価されようが、自分がそう思えばそれで満足のできるものとして良いのだろう。絶対的な意味、それこそ宇宙に於ける自分の存在の意味など、あるようでない。

ただ、やはりそこに存在するからには、何か宇宙的な意味もあるのだろうなぁ、と考える。私たちの体が、極微の素粒子からなっていて、その素粒子一つ一つが自分という生体に置いてある意味を占めているように。でも、そんな素粒子の意味など私たちが理解するに及ばず、ましてや素粒子が私たちを成立させようと働いているわけでもあるまい。つまるところ、自分が存在して、そこでどんな挙動をとるか、といった現時点での事実のみがあるに過ぎない。

この荒んだ世の中において自分の生きている意味がない、などと感じる輩も多い。それを見つけようと宗教に入信したり、絶望に暮れて自殺に走る御仁も多々。意味など、その時その場に応じて付加されるもの。最初から生きる意味を持っている人などいない、と、私などは思う。なければ自分でつくれば良い。

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