2016年に思ったこと

さて、書くか。2016年も終わりですしね(理由になってない)
普段Twitterではいろいろブツクサつぶやいてたりするんだけど、いざこうしてブログに何か書こうと思うと、どうにも面倒くさくなるもんだなと。実際、書かなくなったもんね。社会人になってからわりと長いこと日記とかブログとか暇に任せて書いてたのに、ある時点から一気に書かなくなった。なぜか。
はい、Twitterのせいです。
140字の短文投稿って、ホント使いやすい愚痴ツールであるなと。以前も同じようなこと書いたかもしれないけど(検索すれば多分出てくるけど)ブログって、それを書くとなると「よし書くぞ!」と作業に向かうというところから始めなきゃならないのよね。それが結構な覚悟がいることでして。まずその記事で何を言いたいのかというテーマを決め、初っ端つかんで盛り上げて転がしてオチを付けるというような構成を考え、それを具体的に文章にするということになる。ただ愚痴を言いたいだけなのにパワー使うのよね。で、その文章は最初は愚痴を書くつもりだったのに、出来上がってみると別の何かになってたりして。
その点Twitterは言いたいことだけサッと書いて終わりにできる。こんなものに手を付けたらそりゃブログなんて書かなくなりますよ。ただまぁ、ちょうど今は帰省中で暇なので、その暇に任せて久しぶりにゴチャゴチャ書いてみようかなと。


お題はこちら。

先日こんなことを例のTwitterでつぶやきました。このあとも連続ツイートで何か書こうと思ってたんだけど、これを書いてたのが電車の中で、これを書き終えたところで目的の駅に着いてしまったので、結局この1発だけで終わってたもの。
このとき何を言おうとしてたかというと、何か最近のネット上の様々な記事を読んでると、みんな何かポジショントークしているというか、自分はどっち側の人間で、同じ側に立つ人の意見は無条件に褒めたり賛同したり、その反対に立つ人の意見にはアレルギーでもあるかのように反発してみせたりするのを眺めてると、この人らは賛否問わず相手の話を全く聞こうとしてないなと思えて、いかにも不毛であるなぁと。
これはネットに限らず、新聞や雑誌、或いはテレビなどで時事についてコメントする人たちも大体同様なんだけど、この人たちはなぜそういう思想なのか、その価値観は何に由来しているのかと疑問なんですよね。
例えば、夏の都知事選のときから話題になっていた築地市場の豊洲移転という案件について、賛成と反対の立場から様々な意見が交わされてる。そもそもあの市場の移転は、築地は施設の老朽化や衛生面という点で限界が来てるから、いい加減どこかに近代的でキレイな新しい施設をつくらにゃならんねというところから始まってると思うのだけど、あれ論点がそこからどんどん離れていってる感ないですか。
豊洲移転が計画されたのは石原元都知事在任中の2004年。そこから紆余曲折ありながら最終的にやはり豊洲しかないねとなり、そこに新市場を建設することが決まったのだけど、そこに至るまでには政治的な利権やら裏金やら様々な疑惑もあがるようになる。良いことではないのだけど、これは大きなお金が動くときは必然ではあるのよね。でも大衆はそういうところに潔癖でいたいものなので、いったんそれが問題であるとマークされると、マスコミも好んで取り上げるようになり、いつしか本来の市場移転というコアの議論から離れて場外乱闘の様相を呈してきている。
都庁、都議会、市場及び業者の間であやしい取引があったとするなら、それは追及されるべきでしょう。不正な入札や談合があったなら調査して是正されるべきでしょう。でも、それを追及したいがために妙な虚偽をでっちあげて批判するのはないよ。どこから金が出てそういう批判してるのか知らないけど、2階が設備の荷重に耐えられないとか、魚を処理するスペースが狭いとか、通路でターレがすれ違えないとか、それを建築士なんて肩書の人が言っちゃったら何も知らない大衆は信じちゃうよ。しかも、それ見る人が見ればすぐバレることばかりで、余計事態を混乱させるだけじゃないの。森山高至、キミのことだよ!他にも似たような論者は多い。その後に出てくる化学物質云々の話もヒ素だシアン化合物だアルカリだと散々危険論を煽っておきながら、結局追加調査でも大きな危険はないことがわかってきてる。むしろ今の築地の方がいろいろヤバイですよと。
豊洲の件も問題だけど、もっと問題なのが日本全体が安全保障について底抜けに無関心という点。無関心なら議論の起こる余地もあるまいと思われるが、どっこい逆でして、無関心なところに安全保障を崩すプロパガンダを流布すると、大衆はまんまとそれを信じ込んでしまう。それこそ乾いたスポンジのようにおかしな論が日本の世論に吸収されていくもんだから、それを扇動する側はどんどん調子に乗っていくわけですよ。
安全保障というと、昨年からマスコミなどで騒がれてる安全保障関連法(安保法)が象徴的だと思うのだけど、それに対する批判を聞くと、あれは戦争法案だとか、自衛隊を戦場に送るのかとか、他国の戦争に巻き込まれるとかいわれてましたよね。そのせいで、世論に対して安保法=戦争法というイメージの定着にかなり成功してる。多分、今街頭でそのへんを歩く人に「安保法って知ってますか」と質問すると、大概「ああ、戦争法でしょ」みたいな回答になるんじゃないのかな。
そもそも、安全保障というのは国の安全、つまり国民の安全を守るということ。国民というのはその国の住民なので、その国土を守るということは、即ち国民の命を守るというところに繋がる。そのやり方はいろいろあって、例えば国防費を引き上げて基地や装備の充実を図るとか、自衛官を増員するとか、核武装を検討するなども選択肢で、その中で最も現実解に近いとされた集団的自衛権の拡充、つまり同盟国と互いに軍事協力できるようにして、これまで以上に米国に日本を守ってもらいやすくしよういう整理にしたのが例の安保法であると。
この件で議論があるとするなら、米国に甘える以外にないのか、日本単独でもある程度頑張れるようにすべきではといったあたりが論点になるべきだと思うのだけど、安保法反対という論客の意見を見ると、戦争になるとか軍靴の音がとかいって集団的自衛権に否定的だし、日本の軍備に関しても侵略戦争を始める準備だとか憲法9条が云々とかで、要するに日本は国防など考える必要ないという話になってる。そして今、世論で大勢を占めているのはこちら側の意見だったりするのよね。
ここでようやく先のツイートに戻る。
豊洲の件では、豊洲市場が欠陥施設であり安全性にも問題があるということ。安保の件では、それが他国の戦争に手を貸すことになり、ひいては日本が戦争に巻き込まれるのではないかということ。それらの今自分が信じてるもの、或いは不安に感じてるものは、一体どうやって獲得したものだったろうか。
それぞれについて私自身の話をしましょうか。
まず豊洲市場の件。こちらはその問題を小池都知事がぶち上げてきた当初は、正直それほど興味なかった。それが、予定されていた盛土がなかった問題に始まり、森山氏による施設の欠陥の指摘、土壌や水質の最終調査も完了しないうちに開場に踏み切ろうとしている点、都庁や都議会などの杜撰な管理がどんどん明らかになっていく点などから、豊洲市場は問題があるんだなという立場になっていった。
しかしその後、あの盛土はいわれるほど必要なものではなかったこと、森山氏の指摘はほぼ誤りだったこと、土壌や水質も実質問題ないレベルだったことなどが分かってきて、本当に問題だったのは政治的な手続きの部分だけでしたと。それ以外の物理的な情報はほどんど誤った情報を信じ込まされていた。
次に安保法案の件。こちらはもともと私も日本における安全保障政策には疑念を持っていました。それについていくらマスコミが危険だ不安だと煽っても「それは違うよ」という態度で見てたのよね。
そもそも私がいつから政治経済とか国際情勢とかに関心を持つようになっていたかという点については、ここでそれを書くと長くなりそうなので(というか、実際に書き出したら本題から逸れて長くなってしまったので)また別の機会にまわすとして、もともと政治に関心があったという素地があったにしろ、私が安保法案=戦争法案とならなかったのは、近年の中国の動向をずっと見てたからなのよね。
中国共産党(中共)はずっと反日を国策としてやっていて、自国の内政に何か不具合が出たときには反日キャンペーンを強化して国内世論の安定を図るということを繰り返しやってる。国内だけでなく欧米諸国における中国のロビー活動での日本ネガキャンは常時活発。加えて尖閣諸島近海での度重なる領海侵犯は最初は漁船(といっても、あれら船には国家で軍事訓練を受けた民兵が乗り込んでることが分かっている)だったものが最近は中国海警の公船や軍艦まで堂々と現れるようになってきている。海だけでなく領空侵犯も増加の一途で、2016年の対中国の空自スクランブル(緊急出動)は過去最高であることが報告されている。
これだけやられてるのを知ってたら、その中国を警戒するなという方が無理な話でしょう。これ絶対いずれ日本を侵略しようとしてんなって思うのが普通の感覚だと思う。実際、中国は自国より力の弱い国や地域を力で略奪しているわけで、チベット地方やウィグル地方なんてのは本来中国ではない地域だけど、中国に抵抗する力がないために編入されている地域であると。日本がまだやられてないのは、ひとつは海を隔てているという幸運によるし、もうひとつは日米同盟によるところが大きい。
私もその道の専門家でも研究者でもなければジャーナリストでも作家でもないので、特に国際情勢とか政治的な事情に詳しいというわけではないのだけど、それでも事実として中共が日本周辺で妙な行動をとり続けているというのを見れば、それは何とかした方がよろしかろうとなりますよ。
日本では教育の段階からわりと自虐的な歴史観を植え付けられるようになっていて、第二次大戦時に日本が東アジアや東南アジアを侵略し酷いことをしてきたというような教え方をされる。確かに、昭和初期の日本は大東亜共栄圏という日本を主軸とする経済圏の構築を目指してアジアに進出していたし、そこで原住民に対して何らかの苦境を強いていたのかもしれない。ただ、そのずっと前から欧米諸国は世界中に植民地を置いて各々自国の経済圏の拡大を図っていたわけで、それはいわば当時の世界の潮流だったのよね。
でも、そのことが学校で教えられることはほとんどないし、実際私も習った覚えはない。このへんは先生にもよるだろうけど、少なくとも教科書的には、第二次大戦時の日本軍の悪役っぷりは詳細に書かれてるのに、一方その頃世界の動向はということについてはほぼ触れられない。日本史も世界史も情勢を大局的に教えるのは大体明治維新から大正デモクラシーあたりまでで、その後(昭和以降)の近代史は実質スルーされてる。
実感として、多くの日本人は、昭和以降について、とにかくアジアに酷いことをしてきたのであり、最悪の戦争を始めたのも日本であり、従って日本はアジア諸国(とりわけ中国)に対して引け目を感じるべきだ、というような認識になってる気がするのよね。その素地がある上に、中国からも謝罪しろ保障しろといわれ続け、マスコミもそんな中国を許容する(むしろ日本側の対応を問題視する)ような報道を続けているから、そんな中国が日本を侵略するなんて発想に至らないことが多いんじゃないかと。
こうして2つの事例を書いてみると、私自身も、豊洲問題は無関心だったところから入ったので最初騙されかかってたけど、安保法案については関心のある問題だったので最初から論点を絞って理解することができていたのよね。当たり前だけど、その問題は何が本当に問題なのか理解した上で言及しないと、マスコミとか自分に近しい側の意見ばかりを受け入れているのでは、自らも誤った情報を信じてしまう可能性も高くなるということ。理解しているか否かを自分で判断するというのは難しいけど、理解していない段階からそれに言及する際は、少なくともそう言える根拠を自分なりに調べるなり論理立てるなりしてから喋った方が良いでしょう。それがない主張はただの空論なんだから。
テレビや新聞で何かニュースを目にする。その本質はよくわからんけど、何か感情的に許せない気がする。その記事の論調もどうやら否定的だ。自分の信頼するあの人もこの人もけしからんと言っている。これは問題だ!きっと大問題だ!よしツイートしよう!fb書こう!ブログ書こう!
…てな感じのやつが増えてて、今年は何だか不毛だなぁとこれ日々感じることが多い1年だったかもしれないなと。ネット界隈では、SNSや検索エンジンなどについて、世間に見せたくない情報を隠したい、消したいというような要求が上がってたけど、どちらかというと、その情報が真実であるかどうか(ファクト)、何に基づいた記事であるか(出典)、それを審査したり検証したりできるような機能が機械的にできるようになれば、もうちょっとネットも平和になるんじゃないかなぁ。Wikipediaなんかはそのへんが手動管理されてますがね。
インターネットは今のままでも十分便利ではあるけど、真実を捉えた良質な情報がフィルタできるようになれば、議論ももう少し穏便にできるようになるんじゃないかなと思ったのでした。
そんなわけで、取ってつけたように、良いお年を!

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