いつかはこの事を書くことにはなるかなぁと思いつつ、それはなるべく先の話であって欲しいとも思っていたんだけど、まぁこうなるのも運命だったのかもしれないなと。
先週の15日未明、私の母親が亡くなりました。享年64歳。
逝くにはちょっと早いんだけど、近年の体調の感じからすると、そう長くもないのかもしれないという予想は、薄々あったにはあったんですよね。
何年前だったか、母は体のだるさかなんかを感じて病院で精密検査を受けてみたところ、心臓弁膜症という病気であると診断されました。どんな病気かは、これをキーワードにググればわかりますが、簡単にいうと、心臓の中で血液が逆流しないようにする弁のひとつが何らかの原因で機能しなくなり、血液を上手く送り出せなくなるという病気。
そのとき治療方法としてとられたのが、機能しなくなった弁を人工弁に置換するというもの。これは心臓の手術になるので、術中は心臓を止める必要があり、施術としては必然的に人工心肺を用いた大手術になります。この手術ができる施設も医師も実家のある鳥取にはいないので、岡山にある心臓の専門病院でやることになりましたと。
私は普段は実家にはいないので、それまでの様子とかどんな経緯でそうなったかは詳しく知らないんだけども、とりあえず私がそのことを知らされたのはそのあたりの時期。このときは家族や親戚が総出で岡山まで出かけてみんなで輸血用の血液を何百ccかずつ抜かれたかな。幸いにというか奇跡的にというか、うちの家族、親族はほとんどみんなB型かO型っていうね。
そのときの手術は特に問題なく、無事終わったらしいと。ところがその数年後、その人工弁が上手く動かなくなった?か何かで、2回目の手術が必要になったらしく。まぁ、現代医療も完璧というわけじゃないんですね。
てことで、再び岡山の専門病院で大手術。人工弁交換術が施され、血流がうまくいかないところは、血管バイパスなども作成しつつ、手術自体は成功しましたと。ただ、さすがに2度も心臓を止める長時間の手術をすれば年齢も決して若くないし、心臓も大分参っていたようで、軽く心不全やって心臓ペースメーカーを入れたんだったかな。
それでもその後は、日常生活はわりと普通に送れる状態でした。むしろ、病気になってからの方が活動的になってた気が。植物を使った押し花アート?とか、それを人に教えたりとか、年のわりにPCとかネットとか使うようになったし、それで自分のブログを作って押し花を公開してみたりと今にして思えば、病気なる前はそんなことしてなかったか。それから後も、私が横浜にいる間いろいろあったようだけど、親不孝なことに盆正月くらいしか帰省してなかったので、何か大事にならない限り、私がそれを知ることはなかったんすね。
それでも、普通に家事をこなし、趣味もやりつつ、ペースメーカーや複数の薬を飲み続けなければならない以外はごく普通の健常者とほぼ変わらない生活レベルでしたよと。ところが、昨年の暮れ12月にまた体調をくずして、月末にはいよいよ参ってしまって、まず鳥取市内の病院に入院。
これがその病院では対応できない問題であることが検査でわかり、緊急でまた例の岡山の病院へ転院。
そこで詳しく精密検査をしてみたところ、前回の手術で心臓に作っていたバイパスが外れてることがわかり、まさに今年の元旦、緊急手術をすることに。正月ちょっとバタついてたのは、実はこのためでした。
この手術ではいろいろと問題があって、まず、このときの入院に至るまで本人は相当我慢していたらしく、鳥取から岡山に移されるまでの間にもかなり体力を消耗していて、その時点で手術に耐えられるだけの体力があるかがあやしいと。
あと、これは本人にとって3回目の心臓手術になるということで、心臓近辺の癒着が強くなっていて、手術自体が非常に難しいこと。心臓を開くにはまず周囲に癒着した組織を切る必要があり、このとき下手すると重要な血管などを傷付けてしまうリスクもあり、それだけでも手術の成功確率が大きく低下するわけね。ここまでが術前のリスクで、実際に胸を開いてからもまたいろいろな問題が発覚して、そのへんは今回は書きませんがその問題解決に相当手こずったらしい。
それでも、幸いとても腕のある名医に執刀していただき、もちろん他のスタッフの素晴らしいサポートもあって、実に半日を超える長時間の手術も、何とかギリギリ成功。
その後はわりと順調に回復していき、3月初旬には退院。家に帰ってしばらくは横になってないと駄目だったようだけど、4月になる頃には、普通に出歩けるまでになってたらしい。らしい、というのは、例によって私自身は実家にいないので、妹や親父の話によるとってことになるわけですがね。
で、15日の朝、いつもは一番早く起きてるはずの母親がいつまでも部屋から出てこないので、不審に思った親父が部屋を覗いたところ、その時点でもう既に息が無かったと。死因は心筋梗塞とのこと。
突然死のような形だけど、度重なる疾患と手術もあるし、心臓が結構限界な感じだったんだろうとは思いますね。月並みなことだけど、孝行したいときに親はなし、といいますか、年齢だけを考えたら、まだもう少し余裕あるかなと高くくってたというのが、今回悔やまれるところで。
まぁ、心臓疾患があることを考慮すれば、こういうことも予想できない事態でもなかったんですがね。
そこはやはりそんなに早く逝くことはないはずっていう希望的観測が強かったことは否定できず。もし親に何かしてあげようと思ってるなら、それをやるのは、それを思い付いたまさにそのときですね。今回それを改めて実感。実感したくなかったけど、実感。逝かれること自体は、これはもう遅かれ早かれ順番だし、生命の理である以上、受け入れるしかないんですがね。
この記事も書くかどうか迷ったけど、一応自分の気持ちを整理する意味も込めて記しておこうかなと。最後に、折角なので、上でも書いた押し花作品をひとつここに貼っときますかね。
とにかくお疲れ様でした。で、今までありがとうな。