役に立つ、立たないではないのである

俗物が大好きな今時の世間の人々に
是非とも紹介しておきたい一節がここにあるのです。

– 前略 –
科学の価値としてもうひとつ考えられるのは、知的な喜びです。人によっては科学について読んだり学んだり考えたりすることを楽しむ人もあり、その研究に没頭することにこの上ない喜びを感じる人もあります。いやしくも科学者たる者は科学が社会に及ぼす影響を、真剣に考える必要があるといって説教する人は、とにかくこの点に注意を払わない傾向がありますが、実はこれは非常に大切な点なのです。
– 中略 –
科学に関係のない人々の中には、このような科学的神秘に関する、いうなれば「宗教的」体験ができる人が少ないのは事実です。詩人はなぜかこの素晴らしい経験を謳おうとはせず、芸術家もそれを描こうとはしませんが、いったこの現在の宇宙の姿に心をうたれる人はいないのでしょうか?
– 中略 –
このような沈黙の一つの理由は、符号の読み方を知る必要があるからなのかもしれません。たとえば科学の記事を読んでいて「ネズミの大脳の放射性リンの量は、二週間で半減する」という文章にぶつかったとしましょう。さて読んでみたのはいいが、いったいぜんたいどういう意味なのでしょうか?
それは現在のネズミの脳、そして僕やみなさんの脳の中にあるリンは、二週間前のリンとは異なっているという意味です。脳の中の原子は絶えず入れ替わっていくもので、前にあった原子はもう残っていないということなのです。
ではいったい僕ら人間の頭脳をなす意識をもったこの原子とは、いったい何なのか?それは先週食べたイモ!いやつまり先週食べた食物の原子なのです。しかもこの原子どもはもうとっくにすっかり入れ替わってしまっているというのに、一年前に僕の頭の中で起こっていたことをちゃんんと覚えているのですから、まさに驚異というほかありません。
– 中略 –
このことを新聞で読むと「学者の談話によると、これはガンの治療法の研究にとって重要な発見である」などと書いてあります。どうやら新聞はそのアイデア自体ではなく、その用途にしか興味がないもののようです。そのアイデア自体がどんなに重要で、どんなに驚くべきものであるか、それを理解する人はほとんどいません。

『聞かせてよ、ファインマンさん』
R.P.ファインマン, 大貫昌子・江沢洋[訳] / 岩波書店 より抜粋

長いか?
いや、これでもだいぶ割愛してますけどね。
読んだことのない方は、是非この本の全文にあたって頂きたい。
これは、同書の中の「科学の価値とは何か」と題され、
ファインマン氏がその“価値”として3つあげているうちのひとつとして
紹介しているくだりの抜粋です。
あと2つは、科学によって様々なものをつくることができたことと、
人類は科学によって多くの知識が得られたということ(ざっくりですが)
という、おそらく一般にも理解されやすいだろう話。
ただ、上記抜粋部分の価値についてはなかなか理解されない。
要するに、生きるのに不要な知識なぞ基本的に不要である
という、非常に潔い思考回路によって切り捨てられやすい
いわゆる知的好奇心なり知的欲求というあたり。
これがあるから人間は他の動物とは違うんだ
といえるとても大切な部分のひとつだと思うんだけど、
世間ではこの価値がだいぶ蔑ろにされてると思う。
二番じゃダメなんですか?とかいってる人にはわからんでしょうが
今の科学文明の原動力はもともとこういうところにあるのだよ。
ビジネスになるとか生活が便利になるとか、それも大事ですけど
そういうのは本来サイエンス活動の副産物なのであって、
知的成長を考えた動きというのはもっとあって良いと思う。
…と、帰省の飛行機内でカバンの中に入れっぱなしになってた本を
何となく読み返しながら思ったのでした。

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