[考察] 政権交代と日本の政治の今後

ちょうど1年前の衆議院選挙において、これまで日本の政権を長期に渡り握ってきた自民党を退け民主党が勝利した。これまでも何度か自民党以外の政党が政権を執ったことはあったが、中小規模の政党の連立であったり、自民を含めた連立政権で、いずれのケースも1年に満たない短期間で崩壊し、再び自民党が政権を取り戻すことになっていた。

今回の民主党の政権はそれまでのものと異なり、民主党1党のみで衆議院において圧倒的多数を確保している為、総理大臣自らが衆議院を解散しない限りは、向こう4年間(今からであれば3年間)の政権は保てるわけである。

この政権交代が起こった理由、そしてそれによって日本に何が起こったか、また今後起こるであろうかということを、ここで考えてみることにする。

自民党が選ばれていたわけ

政権交代が起こった理由を見る前に、これまでなぜ自民党の政権が長期に渡って続いてきたのかということを考えてみる。

1年前の政権交代が起こるまで、日本の政権は名目も実質も自民党が担っていた。それは即ち、それまでの選挙において、その時代の情勢によってある程度の増減はあるものの、概ね自民党が政権を獲得できるだけの票を集めていたということであり、いわば常勝政党だったわけだ。

自民党という政党は、その規模自体も最大であり、それゆえ党内にいろいろな考え方を持つ議員や党員は存在するが、およそ”保守政党”ということで世間に通っている。保守というのは、従来の国の方針や体制、及びそこで実施される政策などを大きく変えることなく、古くからの慣習を守るという意味で使われるようである。ただし、その従来の国の体制というのは、およそ戦後の日本の体制、ということを指す。

敗戦直後の日本は、当時の連合国軍、主に米軍によって占領統治されていた。占領といっても間接的な占領であり、実際に日本の国政に当たっていたのは日本人であった。その日本の政治に大きな影響力と強制力を持っていたのが、当時の連合国軍最高司令部(GHQ)だったわけだ。その占領統治が終わった後の政治も、それまで占領していたアメリカ的なやり方、考え方の多くが継承されており、そうした政治のマインドは今日まで大きく変わっていない。それが保守であり、自民党というのは、その保守政党の筆頭であると国民から認識されている。

ところで、小泉純一郎氏が総理大臣となった2001年以降の自民党政権は、”政治改革”という言葉がさかんに叫ばれ、それまでの自民党の政治が大きく転換した、とよくいわれているのだけど、当時改革と呼んでいたのは、主に官業の民営化や事業の統廃合などの構造改革が中心で、上述の意味での政治的な思想はむしろアメリカ的であり、構造改革が謳われた小泉政権でも”保守”という理念は一貫していたといって良いと思う。

そして日本人は、国民性として概ね保守的である。つまり、あまり変化したがらない。或いは変化を恐れる傾向がある。現状で可もなく不可もなく無難ということであれば、わざわざそれを変えてどうにかなろうとは、まず思わない。それゆえ、新しいものへの抵抗は他国の国民と比較してもかなり強く、その性格がなお保守的な国民性を助長しているといえるだろう。つまり、自民党という政党は、そんな日本国民によりマッチしていたということではないだろうか。

自民党の没落

自民党政治というのは、長く日本人に受け入れられてきたとはいえ、それは(良くも悪くも)安定的な政権与党の上にあぐらをかいている自民党の政治家たちに、国民は必ずしも良い印象は持っていなかったはずだ。ときの選挙も、自民党が勝った負けたという言葉はよくいわれていたが、負けても最低政権の座は守られていたわけである。そして、その自民党の政治家たちはそんな状況に長く甘んじていた。何事もそうだが、同じ状況、しかも安定的な状況が長く続くと、ちょっとやそっとでは変わらない、自民党の場合は、政権から落ちることはないと高をくくり、そうなると肝心の政治に怠慢になるどころか、大小様々な不正にも手を出しがちになる。そんな状況を、国民も全く知らないというわけではなかった。

それでも、自分の生活に直接関わらなければ、或いは自らの現状が大きく脅かされるようなことがなければ、ある程度怠慢な、或いは不正があるとわかっている政治であっても無関心でいられる、または無関心を装うことができる。実際、特に何もなければ、国民は政治などという面倒なものには無関心なものなのである。

しかし、2006年頃から世界的に不景気に見舞われ始め、それ以前から長くデフレ傾向にあった日本にもその影響が及び始める。国内では小泉政権が終わり、次期の安倍政権となっても、その世界情勢、そして国内情勢は好転しなかった。小泉政権から引き継いだ政治改革路線は、成長産業の増強を支持するもので、それは逆に、それ以外の事業者、いわゆる”弱者”を切り捨てる政策ともいえる(これに関して、当時の経済財政担当相の竹中氏にいわせれば、成長産業が伸びれば、その好影響は周辺にも広がるはずだ、ということであったが)。このことが、労働者や中小企業の経営者、また地方で疲弊する産業に従事する事業者たちの苦渋を増長させていた。

経済状況が一向に上向かず、そんな中で成長産業の方ばかり向いているように見える政策には批判が多く、さらに自民党内部でも余計な失策が続いていた。閣僚の問題発言や不正発覚は、それが普段ならそれほど気にもしない些細なことであっても、長い不況で神経質になっている国民の苛立ちを増幅させる要因としては十分だった。安倍政権下の自民党は2007年の参議院選で大きく議席を減らし野党に逆転されるという、いわゆる衆参の”ねじれ”状態となった。その後も相次ぐ”オウンゴール”で次第に拡声されていく世間の批判を追い風に、野党は政府提出の政策、法案をことごとく廃案に持ち込み、政権は立ち往生してしまう。ほどなく安倍総理は辞任することになる(これは健康上の理由ということではあったが、実際は政権運営が行き詰ったことによる辞任とみて良いだろう)。その後、福田内閣が発足するが、声の大きなマスコミや世論の”自民叩き”も相俟って野党は勢いづき、政権運営が思うようにならない状況は全く変わることはなかった。そしてそのままの成り行きで福田内閣も崩壊するに至る。

その後に発足した麻生内閣は、2001年に始まる小泉政権以来自民党でとられてきた改革路線をやめ、旧来の(小泉政権以前の)いわゆる保守路線へと舵を切る。道路や公共事業の推進などこれまで縮小傾向にあった官業中心の事業に積極的で、構造改革によって小さな政府を目指していた小泉政治と対を成すといっても良い政策に転換している。これは、麻生氏自身の政治哲学もあるが、国民にある種痛みを強いる前政権までの政治への批判をかわす意図も透けてみえる。

しかし、そのような政策転換も虚しく、2008年秋に起こったリーマン・ブラザーズ破綻をきっかけに世界中に拡がった同時不況の影響で、日本も”100年に1度”ともいわれる不景気が、もともと支持率を落としていた自民党政権に追い討ちをかけた。政府は、その不況に対応する為に総額で27兆円に迫る追加経済対策を打ち出した。これには、どちらかというと悪評の高かった定額給付金や、実際に経済効果もあったエコカー減税、家電エコポイント制度なども含まれる。

ただ、選挙を経ない3人目の総理であった麻生氏の支持率は思うように伸びず、むしろ、政府の政策にことごとく批判的なマスコミや野党の声に煽られて、国民の麻生政権への評価は低迷を続けていた。もともと強力な不景気で国民の生活は一向に良くならないという政権とは直接関係ない情勢背景も、政権がなかなか支持を得られない要因となっていた。

政権交代は何故起こったのか

そんな中で台頭してきたのが民主党である。かねてから野党第一党であり、自民党に対抗し得る唯一の党であるとみられていた。

民主党は「国民目線」の政治を妄評し、官僚主導とされる自民党政治に常に批判的だった。国民の視点で政治を行う、彼らのいう「政治主導」という言葉は、長期に渡る不況で疲弊し、さらに失策続きの自民党政治という印象をより強くしている国民にとって、新たな政治を期待する国民に非常に耳あたりが良いものだった。要は、その時点で国民は”自民党以外の政治”を求めていたのであり、それを実際に実現し得る政党は民主党しかなかった、という事実もある。

そうしてみると、昨年の衆議院選の結果は、ある意味やる前から決していたともいえる。もともと、自民党以外を求めていたところに、「子ども手当て」、「高校無償化」、「高速道路無料化」など大盤振る舞いの政策がズラリと並ぶ例の民主党マニフェストなぞ提示しようものなら、当然のように多くの国民はそれに食いつく。仮にそれらの政策の実現は疑うとしても、自民党以外の政党なら、今の悪い状況を変えてくれるのではないかという、いわば”自民党よりはマシ”という心理が働く。

それに対して自民党が打ち出した政権公約は、民主党のマニフェストに比較して地味なものが多く、加えて消費税増税もあり得べしとしていたわけだから、思慮のない国民がどちらになびくかは明らかだった。思慮のない、というのは語弊があるかもしれないが、経済が落ち込み、生活への不安、将来への不安ばかりつのる国民に深く考える余裕などなかった、という事情も汲んで考えるものである。

民主党政治のはじまり

2009年夏、衆議院選挙で圧勝して遂に念願の政権の座についた民主党、鳩山内閣。マニフェストの内容も派手であったことから、その時点で国民の期待は非常に大きかった。それは、内閣発足当時の支持率が70%を超える勢いだったことからもうかがえる。さて、あれから1年を経た現在までに、その民主党政権が何をやってきたかを見てみたい。

まず、彼らが実施してきた政治、政策だが、まずやったのは前政権で組まれていた補正予算の凍結だった。これで多くの公共事業や、経済対策などが執行停止となる。一見、予算の無駄使いを阻止したと褒められるべき施策のように見えるが、一旦施行が決まった事業を停止することのインパクトは実は想像以上に大きい。

例えば、麻生政権下で「子育て応援手当て」という施策があったが、これが予算凍結によって施行直前で中止された。この実質的な実施は自治体によって行われる予定だったが、自治体によっては既にこの政策の案内パンフレットやポスターなどを作成済みで、いつでも施行できる状態まで準備が整っていた。しかし、これが中止になることで、それらの準備が全て無駄になった。また、道路整備や公共設備の改修などの事業もいくつか施行停止になっている。それにより、それらの工事を受注していた事業者は、突然仕事を失うことになった。

周辺への影響までしっかり調査した上で議論が尽くされ、関係者に及ぶ損失への補填も含めた政策を打ち出すのならまだ良かったのだが、政権発足後すぐに凍結という、まず凍結ありきで無理に進んだ彼らの手法は、とにかく自民党政治を否定することが政治を変えることなのだ、という国民へのパフォーマンスという面が強い。今にして思えば、この補正予算凍結を強行したやり方は、まず~ありき(マニフェストありき、中止ありきなど)という、その後の民主党のやり方全てを象徴しているように思えてくる。

発言の軽さ

その後も民主党鳩山政権の迷走は続く。それらの政策ひとつひとつを全て挙げていくときりがないので、象徴的なものをいくつか取り上げながら分析してみる。

まず、沖縄の普天間飛行場の移設問題。これは現在も継続中の問題だが、これは自民党政権のままだった場合、昨年中に決着していたはずの話である。それを「できれば国外、最低でも県外」などという鳩山氏の無責任な発言に端を発し、問題が大きく拗れている。決着を名護市長選後に伸ばしたことで反対派の市長が誕生し、実質的に地元の同意を取れなくしてしまった。米国は現行案しか受け入れず、名護以外の移設先は非現実的だったが、鳩山氏は「最低でも県外」の言葉に縛られ、今年5月までに解決すると自ら切った期限すらも守ることはできなかった。

このことによって、期待を裏切られた沖縄県民、特に名護市民の信頼は失われ、当初の約束であった期限を大きくずらされた米国との関係も悪化した。そのことは周知の通りなので、ここではあえてこれ以上言及はしない。ここで注目しておかなければならないのは、鳩山氏、及び閣僚や与党政府関係者の”発言の軽さ”である。

普天間移設問題はその象徴的な一例だが、彼らの発言のふらつきは、この問題のみに止まっていない。政治をオープンにするといいながら毎日の記者ぶらさがりの回数を減らしたり、数におごらない政治をするといいながら強行採決を繰り返したり、野党時代からの古い発言を見れば、秘書の責任は政治家の責任だと批判していたが、自らの秘書が犯した罪については責任を取ることはなかった。

要するに、発言が全く信用できないのである。前にいったことをすぐに撤回する。政治家が公言したことを撤回するならその理由を説明しなければならないが、それもない。聞かれるのは自らの責任逃れをする弁解のみで、これまでに鳩山氏やその他閣僚らの口から納得のいく説明を聞いたことがない。

また、政府内の閣僚たちの発言が統一されておらず、さらに、まだ確定してもいない政府内の情報が簡単にマスコミに漏れていることも問題だ。これは情報管理が杜撰ということもあるが、何より政府の人間としての危機意識が欠けているといえる。結局、政権交代しても民主党内はまだ野党気分のままだということだろう。

クリーンではなかった民主党

国民が民主党を選択した理由のひとつに、民主党はクリーンである、というイメージがあったはずだ。つまり、政界の裏側で横行する不正なお金の流れを止めたいという思いから、長年そんな噂が絶えなかった自民党政権ではなく、民主党が選択されたという面は大きいだろう。

ところが、その期待も見事に裏切られた。まず小沢氏の政治資金団体である「陸山会」の不正な政治資金受け取りに関する嫌疑があり、この問題で検察による起訴は今のところ免れているが、検察審査会によって起訴相当、不起訴不当などの議決が出ている。小沢氏本人は「法を破ることはしていない」というが、仮に法に触れないとしても、こうした疑いが持たれるようなことをしていること自体、国民の規範となるべき政治家としてはまずいだろう。ここは違法性の問題と同時に、政治家のモラルが問われている話でもあるということだ。

さらに、ときの首相である鳩山氏自身も、家族(母親)から毎月1500万円の資金を受けていたという疑いも浮上。鳩山氏本人は「知らなかった」という立場を貫き、しかし過去7年分に渡る贈与税を収めたという。こればかりでなく、鳩山氏の政治資金管理団体の偽装献金問題で、彼の秘書は実際に有罪になっているが、これに関しても鳩山氏自身は「知らなかった」を貫いている。氏が野党時代、政治資金の不正に関して散々自民党議員を批判していたが、今は彼自身がそれを断罪される立場にあることに気づいているだろうか。

結局、鳩山政権の2トップであった当時の首相である鳩山氏、民主党幹事長だった小沢氏が、揃って政治資金絡みで不正があったわけで、民主党も全くクリーンではなかったということになる。しかも、2人して自らの非を認めないという居直りを決めているのだから、この意味で自民党の政治家よりも悪質かもしれない(過去そのような疑いが掛かった議員は、閣僚であっても概ねその役職を降りるか議員を辞めている)。

民主党の国会運営

国会運営に関して、当初、数の力は行使しないということを公言していた鳩山氏であったが、実際は違っていた。今政権下で開かれた予算委員会では、高校無償化や子ども手当、郵政改革法案などの強行採決が10回に渡り行われたそうだ(参考 >> 高木毅氏のブログ)。

その法案の中身も、とても納得のいくものではない。高校無償化に関しては、対象校に朝鮮学校も含む可能性を残す曖昧な内容となっているし、子ども手当ても在日の外国人に対しても適用され、在外の日本人には適用されないなど、調査や熟考の跡が見られないようなちぐはぐな内容となっている。しかも、それらの法案の達成目標は設定されておらず、周知のようにその財源の裏づけが全くない。郵政法案に至っては、たった1日(実際は数時間)の審議で可決されている。

強行採決は、政局の主導権の奪い合いの中で、野党が頑として与党法案を認めようとしない場合などは、ときに政府の特権として政治を止めない為に使ってもやむをえない場面もあると思うが(それでもあまり褒められないが)、政権発足から1年も経たない中で10回もの強行というのは、いささか多過ぎだろう。

また、そうして派手な政策(マニフェスト)の法案の採決が目立つので、自民党なりその派生政党などの抵抗勢力に対抗しながら民主党もそれなりに頑張っているのかと思われるかもしれないが、実はそんなこともない。

実は、鳩山内閣の政府提出法案の成立率は、この10年間の国会運営の中で最低なのである。政府提出の法案は63本で、うち成立は35本ということで60%を切る(2010年6月現在)。これは、安倍政権下で衆参ねじれ状態となった2008年の通常国会(79%)よりも低い数字だ。鳩山政権下では、衆参いずれも与党が多数議席を占めていたにも関わらず成立した法案が少ないということは、法案自体に問題があるか、または国会運営自体に問題があるかである。先送りされた法案も多く、これは未熟な段階での提出が多かったことの証左でもあり、決断力のなさも露呈している。

事業仕分けの功罪

もうひとつ注目して置かなければならないのは、民主党が目玉政策に位置づけていたであろう「事業仕分け」である。これまでの官僚主導で決まってきた事業の是非を洗い出し、それを”国民目線”で不要なものはどんどん廃止して、浮いた予算を民主党が打ち出している各種政策の予算に充てる狙いがあった。また、それをテレビやネットなどに公開することで、国民に向けたパフォーマンスともなり、民主党にとって一石二鳥の”事業”であったといえるだろう。

当初、民主党の各議員は、衆議院選挙時に打ち上げたマニフェストの実現に必要な財源は、現状(衆院選前)のムダを削減することで十分確保可能であると豪語していた。どれだけのムダがあると考えていたのか定かでないが、そんな民主党議員たちにとってその期待の星がこの事業仕分けであったことは間違いないだろう。ところが、実際にやってみれば削減できた予算は7000億円に満たなかった。民主党が想定していた3兆円という数字を大きく下回り、彼らの計算がいかに”どんぶり勘定”であったかということが露呈したわけだ。

仕分け対象の選択自体も問題がある。本来は仕分けの為の準備や調査が必要なはずであり、それが国家の事業の洗い出しとなれば、わずか数週間や数カ月で終わるようなものではない。民主党がお手本としているというイギリスで行われている事業仕分けを見ても、その準備に1年以上かけているのである。そんな中、短期間突貫で出されてきた仕分け対象事業は、まさに民主党の独断と偏見によるものだった。当然のように民主党自身が仕掛けた「子ども手当」や「高速道路無料化」などの事業は1つも含まれていない。それらの政策をやりたいが為の予算捻出の手段がその事業仕分けであったのだから、それも当然の話であるが、その時点で本来の事業仕分けの目的を見失っていると言わざるをえない。これも、自民党政治を否定することで”政治主導”と言いたいが為のパフォーマンス性を重視した結果であるといえる。

そして、肝心の事業仕分けの内容だが、ほとんど建設的な議論がなされていないように見受けられた。その様子は広く報道されているところであるので、あえてここで深くは言及しないが、一言でいわせてもらえば「議論が素人過ぎ」であった。確かに国民目線となれば素人目線ということにもなろうが、特に科学技術研究関連の事業の必要性について議論するなら、その専門的な知識もある程度必要で、そこを全く勉強もしないで、例えば、宇宙開発とかコンピュータ開発の事業について主婦目線でモノを言われても当事者は困るだけである。また、それに受け応える役人たちの説明も準備不足な感は否定できず、全体的に稚拙な印象が残った。

事業仕分け自体は今後もどんどんやっていって良いだろう。ただし、やるならそれなりの準備をして、仕分け人も役人も、当該事業に関してもっと勉強してから臨むべきである。そして、それを政治的なパフォーマンス目的としてはならならず、あくまで”全ての事業”の要不要を問う場でなくてはならない。

政権交代の恩恵

ここまでに見るように、民主党の政治はお世辞にも賞賛できるものではない。国民の期待を裏切るばかりで、そんな中に良いところを探すのは困難なのだが、それでも何点か良かったことはある。

まず、従来の自民党の傲慢さを崩壊させたことは、今回の政権交代の成果の1つといえる。自民党議員たちには、常に政権党であるというある種のおごりがあったはずだ。それにしがみついて、自民党にさえいれば概ね当選できる、或いは、党員でいればいつかチャンスがある、と安心してしまい、真面目に政治に取り組む姿勢が損なわれていた感がある。特に当選回数の多い年寄り議員ほどその傾向は強く、政治よりも保身を考えて動く議員が多くなっていたことも事実だろう。今回の政権交代で、そんな自民党内の幻想は打ち砕かれた。

そして、野党と与党の立場が入れ替わったことにより、お互いに反面教師となっていることも、今後の政治や政局に一定の変化をもたらす要素となるのではないか。自民党は野党にくだり、一向に支持率が取り戻せない状況が続いている。これまではおよそ従来通りの政治さえやっていれば良かったが、野党になってもそれでは通用しない。旧態依然の政治に国民は納得しないということを、今まざまざと思い知っているはずだ。

対する民主党も、野党時代に自民党の批判ばかりしていたが、実際に政権をとってそれをやる立場になって、理想的な政治の実現の難しさを痛感していることだろう。自民党がやってきた政治は、良くも悪くも無難であり、およそコトが上手く運ぶことが実証済みの政治だったわけだが、それをやめて、別のやり方でとなると、それ相応の政策であり、運営をしていく必要があるのだが、今の民主党にそんな能力があるかどうかというところで大きな課題があるといえる。そこが打開できなければ、結局古い自民党政治に戻るしかない。

とにかく、今回のことで、与野党とも、政治がこのままでは立ち行かないということをより真面目に考えるようになったはずであり(真面目に考えていた政治家もいるだろうが)、政治家たちの意識改革をしたという意味では、一定の成果はあったといえるのではないか。

民主党政権の今後

ここまで民主党政治にみる問題を挙げてきたが、実際はもっとある。6月に鳩山政権は崩壊し、代わって菅政権が発足したが、新たな政権でここまでの問題を解消できるかは非常に疑わしい。本来なら、選挙を経ない首相交代に批判的であった民主党がやすやすと菅内閣を発足させたこと自体に強い疑問を感じるわけだが、実際のところ彼らが近々に衆議院を解散させるとも考えにくい。実際的には、このまま民主党政権が続いていくだろうという前提で、それがどうあるべきか考えてみる。

まず、昨年の衆議院選挙時の民主党マニフェストは、そのまま実行してしまうと、間違いなく国は立ち行かなくなる。子ども手当、高校無償化、高速道路無料化、農業戸別所得補償制度と(まだまだあるが)これだけでも多額の予算が必要だ。子ども手当だけとっても、仮に満額2万6千円支給となった場合、それに必要な予算は軽く5兆円を超えてくる。これは防衛費を凌ぐ予算だ。この上、後期高齢者制度の廃止や新たな年金制度、社会保障制度の見直しなど(こちらは「子ども手当」などに比べればずっと必要だが)をやっていくと、予算が全く足りなくなってくるはずだ。しかも、それらの財源は、政権発足から1年経過した今にして皆目目処が立っていないというのだから恐ろしい。よって、まずあのマニフェストを一度白紙に戻すところから始めなければならないだろう。

次に、政府の人間としての自覚が今の民主党に見られないという点も指摘しなければならない。特に閣僚たちの向いている方向がバラバラでは、国全体を管理できようはずもない。まず、政府見解をしっかりと把握、理解した上で、政府、閣僚の人間として統一した考え方を持つようにする必要があるだろう。民主党の場合は、長く保守政党である自民党を批判してきた政党であり、その為にかなり左翼的な考え方を持つ人間が多いという印象がある。というより、保守政党である自民党に賛同してこなかった、或いは意図的に敵対的立場を取っていた政治家の集まりが今の民主党である。それゆえか、自民党政権からつづく政府の意見、考え方に拒否反応を示す政治家も多いのだろう。しかし、政府見解というのは、国会で一致した意見としてまとまったものであり、それは野党であっても同様であるはずだ。

そして政権与党となった今、日本という国の国益と国民の保護を第一に考えていかなければならない。いつまでも旧政権を批判しているような政党は、政権与党たる資格はない。民主党政権になって、最も危惧しているのは、政府関係者、特に閣僚たちの外交や国防といった方面への知識や考え方が非常に稚拙であるということだ。政権発足時に連立を組んだ相手である社民党が、党首からして不勉強なことは言うまでもないが、同盟国である米国との関係よりも、その社民党との連立維持の方を選択し続けたという鳩山政権の軽薄さによってどれだけ国益を損ねているか、彼らは認識しているだろうか。国防よりも政局を重視する政府など、政府足り得ない。今後も政権与党であり続けるのなら、そのあたりの精神から改革の必要がある。

そして最後に、念を押しておかなければならないことがある。これは本来、指摘するのもバカバカしいことなのだが、今の民主党にはその意識がないに等しいくらい薄いようなので、あえていっておくのだが、民主党であろうと自民党であろうと、日本の政権与党となった以上は、日本の政府であり、日本の政治をしなければならない。特に民主党政権になって以来、政府関係者からは「一体どこの国の政府か」と耳を疑うような発言が相次いでいる。何も米国や中国などよその国益を考える必要はない。日本が気遣うまでもなく、米国も中国も自国の国益優先で動いている。日米同盟も米国の為だけのものではない。それが日本の国益になるから同盟を結んでいるのである。日本の政治家は、日本国民に選挙で選ばれ、日本国民の税金で生きている以上、まず日本国民の利益を第一に考えなければならない。そのことをゆめゆめ忘れてもらっては困るのである。

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