こないだ買ったばかりの液晶ディスプレイなのに、
もう1ドット線が入ってやがんの。
ま、別にいいけどね。やっぱ安物はいかんすね。
晩秋恒例、電車で物想いに耽るシリーズ。
(何だそりゃ)
最近の私の中のトレンドは“個”です。
“個”ってのは、複数ではなく、単一のそれです。
でも、複数という概念がなければ
個という概念もまたないのではないか?とか
いや、個があるからこそ複数の概念があるのだとか
いろいろあるが、そんな話はとりあえずどうでも良い。
よくないけど、話が進まないので。
“個”というのは、本当にあるんだろうか?
というのが主題であります。
そんな大仰な。
いや、実際、孤独、孤立、単一などといってみても、
みんな物質でできているという前提に立つならば、
どの個も根本は同じようなものであるはずなんですよ。
同じような、というのは、
当然、犬と猫は違うし、人と人でも違うんでしょうけど、
そういうマクロなものは違っても、ミクロな部分、
つまり、素粒子やそれ以下(があるとすれば)まで
どんどん分解していくと、みんな同じなのです。
それらは、当然孤立して存在することはできなくて
お互いに何らかの影響を及ぼしあっている。
その結果として、マクロな物体なり物質なり、
生物なり、無機物なり、星なり、光なり、エネルギーなり
そういうものどもが立ち現れているということ。
何というか、宇宙も地球もひとつの世界の中の事象で、
喩えるなら、海に浮かぶ孤島なり大陸なりは
それぞれ海によって隔てられていて
いかにも“個”として存在しているかのようだけど、
その海が干上がってみれば、実は一枚岩という感じ。
何でこんなことを考えるに至ったかというと、
ウトウト居眠りをしていて、うっと気づいた自分が
一瞬自分でないものに感じた、というか、
いや違うな、何でこの自分に戻ってきたのか?
みたいな感覚になった瞬間があったのですな。
すぐに現実的な(正気の?)意識が支配したんだけど、
今の感覚はちょっと面白いぞ、と。
別に狂ってないですよ。多分。
自分、というのも、個ですよね。
で、この自分というものほどおかしなものはないですよね。
自分にとって、それに代わるものはない。
どうしても代替が利かないものであると同時に、
もし代替したら、きっとそれは自分ではなくなる。
仮に、全く同じ物質構成の人間がもうひとりいたとしても、
それは自分ではなく他人であろうと予想される。
これは何も同じ背格好の人間でなくとも、
他人というものに対して同様に疑われる問題です。
他人は他人で、自分ではないもの。
でも、それは本当にそうなのか?ということ。
自分にとって、世界は自分の中の認識であり、
それ自体が自分という意識の中に立ち上がっているもので、
つまり、自分にとって世界=自分なわけです。
生まれたばかりの子供は、そう感じているんじゃないか。
人は成長すると、だんだん分別というものがついてきて、
自分と、そうでないもの(他者)があるということを
徐々に理解し始める。
のだけど、その他者というのは何者なのか。
そもそも本当に自分以外のものなのか、ということを
ほとんど疑問に感じないことの不思議さです。
後天性の学習による認知であるといえど、
ほとんどアプリオリに近い感覚という気がする。
人は、なぜ分別がつくようになるのか。
それは人以外も同様なのか。
そもそも、自分って何だろうか。
自分がいなくなることがあるだろうか。
そんなことは自分には想定できないし、
いなくなったら世界が終わってしまうのかどうかなんてのも
実のところどうもよくわからない。
物理的には、生物というのは一生を終えると
別の物質に分解され、大抵は別の物質に再構成される
なんてことは、わかっちゃいるわけですが。
しかし、大体世の中自分の思うようにはいかないもので、
やっぱり他人も、世界も、とりあえず自分ではないんだろう。
こう書くと、やっぱり頭おかしいみたいだな。
でも、何でこんな原材料費1000円もしないような有機物の塊に
自分、私、みたいな意識があるんだろうと考えると、
変な気分になってくるわけで。
ちなみに、最初に書いた1ドット線が入っちゃったLCDは
23型ワイドで18,800円の品(多分、同等品の中では安い方)。
保証期間内で修理はタダなんだけど、送料は自腹。
本体は当然、送料すら“私”より高いんだが!
(そんなものはいくらでもあるけどネ)
送るべきかそのまま使うべきか。
実使用上特に問題ないレベルのドット抜け線なんだけど、
新品てことで初期不良っぽいのが悔しいんだよなぁ。
コメント
お店に持っていけば交換してくれないのかな。
1ドット欠けなら確か保証対象外だったとおもうけど1ラインなら
交換してくれそうな気がする。
私は運良く経験してないけどかけてたらショックですよネェ><
そうそう、遠隔で手術することが出来るロボットあるじゃないですか。
あれ操作してると、そのロボットが自分みたいに錯覚するみたいですよ。
完全に遠隔操作できるロボットで感覚がこちら側に入力されると多少のタイムラグがあっても、そのロボットを自分と認識することができるって聞いたことが・・・。
拝読していて神道の死生観が頭に浮かびました。
キリスト教的なそれは死んだ後も個が保証されてるけど、神道においては皆仲良く同じ魂へと同化されてしまう。
これはまさに、「海が干上がったら」ということであって、水があることによって本来(高次元においてはって意味)ないはずの物があると錯覚されてしまったりする。これが自意識やクオリアである、と。
ところで、本体にはかなりお金をかけているのに、モニターはどっと抜け保証も入っていないとは、何とも可愛らしい…(笑)
自分の身体ですら、運動や感覚の伝達にラグがあるんですよね。それを大体“同時”と認識している。操る機械もそう感じられるなら、実際それは自分の手足と同じようなものなのかも。
LCDの修理は修理センターに送ってくれとのことで、その修理センターとやらが長野県らしく。やっぱり安物はサポートサービスもそれなりってことで。保証期間内にもう1本線が増えたら送ってやろうと思ってます。
神道がそうなんですね。で、仏教の場合はリサイクルされると。それらで共通してるのは、死というのは終わりじゃなく、何か別の形態に変化するという想定があることなんすね。ただ、宗教の場合、人が心の救いを求める先でもあるので、願望的な部分もあるとは思いますが。
モニタは、一応修理はタダなんです。ただ、往分の送料はお前が払えとのことで、そこが何とも理不尽な話。返送は当然向こう持ちのようですけどね。
遅いコメントですが、
人類補完計画ですね、ATフィールドですね(違…くもないのかな
個というのは実際ATフィールドなんでしょうね。まぁ、なかなかやぶれないもので。