無題

私は音楽のことはよくわからんのですけど、
楽曲って、イントロ、A、B、サビ、C、で、アウトロみたいに
構成されてますよね。
そう、起承転結ってやつ。
で、世間のみなさんは、いろんなものに
この型を当てはめて考えようとしてるんじゃないか。
例えば、人生とか。
でも、全てにそれが適用できるかというと
きっとそうじゃないものもある、と思うのよね。
Aメロだけで終わってしまう人生もあるし、
いきなりサビ、ずっとサビ、ずっとオレのターン
みたいな人生だってあると思う。
いや、それはないか。
だから何だということは無いんですが、
みんな型にはまろうとし過ぎなんじゃないか、と
さっき風呂の中でふと思ったのでした。
あと、人同士やたらケンカしたがるよね。
それって何でかな?と。
とにかく、人は基本的に自分が正しいと思っている。
いや、自分が間違っているかもしれない
という不安や可能性は常に(潜在的に?)認めてるけど、
それを他人に見抜かれたり指摘されたくない
という気持ちもまた同時に(潜在的に)持っている。
でも、自分からみた自分よりも他人から見た自分の方が
自分という人間を客観的にみられている評価になるので、
他人からの突っ込みは結構当たってることが多い。
本人にあらかじめ自覚があれば、図星を突かれた状態。
自覚がないことを指摘されたら、あ、そうかも、と思いつつも
とりあえず否定したがる。
自分としてはそれを認めたくない。
というか、認めたら負けだと思ってるようなところがある。
というか、それを認めてしまうと、自分という人間が
根っから否定されてしまうようなこともある。
それが正論であればあるほど、感情的に反発しやすい。
まぁ、それをいう相手にもよりますが、
それが信頼できる人とか尊敬してる人などといった類なら
言われたことを無条件に信じちゃうのかもしれませんが。
(それもまた問題ですが。)
ただ、自分と対等か、自分より立場が低い
(と自分が思っている)相手にそれを指摘されると、
どうも反発したくなるというのも人間なんだろうと。
まして、それが自分が嫌っている相手であれば
なおさらムカつくってことになるでしょう。
そういう感情がまず入ってしまうから、
意見の内容自体は偏見を持ってしかみられなくて、
せっかく正しい視点、あるいは適切なアドバイスが示唆
されていても、それが活かされないというケースが
世の中には多いんだろうなぁ、と。
ということで、ケンカ多発、コトがスムーズに運び辛い。
なんてことを、
これはさっきトイレの中で思ったのでした。(失礼)
まぁ、どうでもいいですね。
それがわかったから(正しいかもしれないから)といって
これまでの生き方が変わるわけじゃなし。
ていうか、変えられない、といった方が適当か。
何でいきなりこんなことを書いたかというと、
風呂とかトイレとかって、なぜか不思議といろんなことを
考えるんです。いつも。何の脈絡もなしに。
でも、スッキリしちゃったら、それらのモヤモヤ思考も
スッキリ忘れちゃうので、いつかそのモヤモヤを
何か文章に固定してみようと思ってたのです。
で、やってみたと。
しかし、こうして文章に書き下してしまうと、
そのとき思っていたことと何か違う気もしてくる。

コメント

  1. たいら より:

    「考えた事と文章に起した事、なんか違う」というのあります。
    日記のネタとかによく…
    その場で書き起こせれば良いのにと思って、
    いっそ録音するか、と考えた事もあります。
    でも、後から考えると、またさらに別の思考につながったりして、
    結局内容が変わるという…

  2. 月影 より:

    文字や言葉や文章というのは人間が発明したもので、思ってること、考えてることというのはそうじゃありませんからね。逆に、思考を完全に言葉にできる方法がわかるなら、心身問題(心脳問題)なども解明され得る問題ということになるんだろうなぁ、と。
    とはいえ、言葉を一旦得てしまうと、人間はそれの構築によってしか物事を考えることができなくなってしまう。その過程で、言葉にならないものがかなり多く取りこぼされてるんだろうと思います。
    というこの文も、いろいろ何か欠けてるんだろうなぁ。
    (そしてぐるぐる)

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