何基準の正義か

だから、一旦アニメ化されたものを実写化するなと、
あれほど。
いつか、オーストラリアで
史上最悪ともいわれた大山火事がありましたよね。
電車の中で隣に座ったおばちゃん2人が
そのことについて駄弁ってったんです。
「オーストラリアの火事!」
「すごかったらしいわねぇ」
「逃げる暇もないくらい火が速かったらしいのよ」
「かわいそうにねぇ…コアラ」
コアラかーい!
この会話でハッとしたのが、
無意識に人間基準でものを考えている自分がいた
ってことです。
自分が人間である以上
そうなるのは必然なのかもしれないですが、
しかし、あのおばちゃんは
コアラ基準になってたわけですな。
いや、単にコアラがかわいそうだった
という話をしてただけなんでしょうけど。
これは生物種という大きな括りだけの話ではない。
人というのは、自分、及び自分の周囲の常識が
まず基準になってその外を眺めているってこと。
これはどういうことかというと、
自分が正しい、間違いないと思っていることは
実際は自分の周囲にしか通用しないものかもしれない
ということ。
だから対立が起こる。
何が正しい、間違いということではなく、
結局、自分としては何を信じているか
というところなんだろうなと。
信じているそれが、
つまり正しいと思っていることになる。
そうじゃないもの、或いはそれを害するものは
即ちその信念を持った人にとっての悪になる。
こうして書き下してしまうと
そんなのいわれなくてもアタリマエじゃないか
と思えてくるわけですが、
わかってても普段みんなそれを忘れるよね。
忘れるというか、あえて無視してるのか。
多くの場合、人は感情が最優先になるので
理性で信念というのは幻想に過ぎないということが
仮にわかっていたとしても、
おそらくその場ではケンカしてしまうんでしょう。
まぁ、わかってない人も多いでしょうけども。
一般論でいう正しい、間違いというのも
人間社会での多数派の意見ということになる。
だから、正しい行い、というのではなく
社会において多くの人に認められやすい行い
というのが正しい。(あれ?)
助け合いは多くの人に認められるけど
殺し合いは多くの人に拒否される。
極端にいえば、
人殺しをする人が多数派になれば
その社会では人殺しが正しいこと
ってことになるんでしょう。
結局、法律や決まりごとなんてものは
人間が勝手に決めた約束事であって、
法が常に正しい、と思うのは間違い。(あれ?)
ただ、大勢集まって同じ場所で生きていかにゃならん
となった場合に、自分以外のその他大勢が
自分をとって食うような存在であって欲しくはない。
なので、お互い危害を加えないように
というのは、最低限の約束事として必要なんすね。
私はあなたに危害を加えませんから、
あなたも私に危害を加えないでくださいね。
というのが、暗黙の信頼関係。
しかし、どうも最近は
そこらへんが動揺してきてるように思うんだよね。
どうでもいいんだけど、
やっぱり、アニメの実写化は認められんです。
20世紀少年もどうかと思ってたのに、
ドラゴンボールとかヤッターマンとか
あり得なくね?
このままいくと
そのうち、ドラえもんまで実写になるんじゃないかと。
着ぐるみのミュージカルもどうかと思ってるのに、
顔を青く塗ったデブが「タケコプター!」とか叫んで
ポケットから竹とんぼみたいなのを出された日にゃ
もう泣くしかない。
あ、そういえばF全集が出るらしいです。
 藤子・F・不二雄大全集
 (shogakukan.co.jp)
漫画は漫画として素直に楽しむ。
これは私の持つ数少ない正義であります。

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